学友 I君
前回のエッセイでは、酒を飲まない唯一の友達を紹介しましたが、もう一人いました、学友のI君です。
I君は成績が良かったようで、こいし(私)が、ひいひい言って就職試験に駆けずり回っている頃はもう、美術部の後輩と、スケッチ旅行などを楽しんでいました。
それはさておき、I君には二つの趣味があって、その一つは「日本コーヒー文化学会」に所属し、コーヒーに関する講演を聴いたり、仲間と味わうことです。
こいしはコーヒーを飲みません。ですけれど、日本酒は毎日です。
先日の朝刊に、政府の税務調査会が「日本酒を減税するとの答申案を出した」と、ありがたい記事が載っていました。ですが、その不足分を補填するため、他の酒類は増税だと。
無駄遣いを、ほんの少し省けば、その必要はないと思うのですが。
話がそれました、I君の話に戻します。
もう一つは写真撮影です。ここ数年、I君が所属する、写真連盟の支部が催す写真展へ、こいし、行っています。そして見ながら、いつもこう思うのです。
「学生の頃のI君の油絵は、色彩と構図がとても良かった。写真はそれに加えて着眼点が良い、表現したい気持ちが伝わる」と。
その季節が近づいてきたので、様子を聞きました。すると写真連盟は今までどおりだが、支部は退会したとのこと。
それは本人の意志なので、どうこう言えません。であっても、撮った写真は見てみたい、その気持ちをメールに託し、一週間後、I君の街にある、今流行の喫茶店で落ち合い、そして早々、疑問を聞きました。
「写真連盟の支部、辞めたの、どうして?」
「モチベーションを少しでもあげようと思ってね・・・・・・」
「それでは、発表の場、どこにするの?」
「フォトコンぺにしたんだ。それでね、ある観光協会のに応募してみた。そしたら、まぐれだと思うけど、入選したんだよ」
「それは、おめでとう。で、ご褒美は?」
「賞状と金一封、それと記念品」
「それは凄い、その写真、どこへ行けば見られるの?」
「どのゼネコンも建築現場をフェンスで隠しているだろう。駅前開発のビル現場の、そこに掲示されてるよ」
「そうか、それでは帰りに見ていこう。で、名前も出てるの?」
「うん、出てる。嬉しいけれど、恥ずかしい」
と言い、頬を緩めた。
その話の後、見た写真、どれも良く撮れていました。コンぺの入賞は、まぐれだと本人は謙遜しますが、そうは思いません。審査員はプロの写真家でしょうから、見る目は確かです。
入選作を含めた写真展を、こいしノートで開催しています。皆さま、どうぞ、見に来てください。
秋田の造り酒屋から直送された,吟醸酒を用意しています。現地の塩辛もたんと、ありますよ。
入賞作品です 現物はもっともっと鮮明です 左で交通整理する、おじさんの姿格好が、自然で良いと思います
ビルの内側からの東京駅 どっしりとした駅舎と お嬢さんの急ぐ姿 面白いでしょう
ふきのとう なんとなく ユーモアがありますね
奥行きが感じられます 陽による色合い きれいです
しずくに何かが写っています I君に聞くのを忘れました 皆さま 想像してください
芸術を好む 虫が食べたのでしょう 紅葉に写る枝(?)不思議な写真ですよね
※次回は、こいしが体験した「女性化乳房」の体験談です。
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不良品率 ただ今 10割
こいし(私)の男友達の中で、唯一、酒を飲まないM氏が訪問してくれました。そして、コーヒーを飲みながら世間話をするうち
「ネットで買った、このMP3プレイヤー、いくらと思う? 量販店で買っても、一万円もするんだよ。それがたったの890円、もっとも中国製だけどね」
と言い、差し出しました。
その安さと音色(おんしょく)を耳にして、即、買うことに決め、M氏とは別のルートで同製品を、やはりネットで注文しました。
(※別ルートの理由は、自動引き落としの便利さからです)
それからの一週間、図書館へ通い、シンフォニー、懐メロ、落語全集、他にも鳥の鳴き声を集めたCDを借り、パソコンに取り込みました。そして到着日を楽しみに待っていました。(※図書館の貸し出しは、三つが限度ですので)
二日後、日本製と比べても見劣りしない、デザインのMP3を、中国のメーカーが直送してきました。ですが説明書はありません。
こういった機器にまったく弱いこいし、M氏に頼る電話をしました。すると
「僕のも入ってなかったけど、野生の勘でセットした。同じのなら、任せてよ」
夕方に来てくれたM氏、早々に取り掛かかってくれましたが、セットできません、不良品だったのです。
「たまたま、悪いのに当たってしまった。もう一つ買っても、二千円弱。日本製の一万円と比べたら、まだぜんぜん安い」
こいしはこう考え、再注文しました。ですが、二度目の製品も、意味が多少違うかとも思いますが「安物買いの銭失い」でした。
酒好きな、こいしも含めた仲間が酔って、からかっても、にこにこ聞き流す、温厚なM氏ですが、さすがに頭にきたようで、文言は穏やかですが、かりかりしながら、元請の通販会社(※国内)へメールを打ちました。こいしには、さっぱり理解できないのですが、こういった内容でです。
購入した製品に、以下の不具合があり、対策方法をお教えいただきたく、また、製品の交換や返金につきましての、ご返答もお願いいたします。
不具合状況
製品をWindowsPCにUSB接続をおこない、音楽ファイルとディレクトリのコピーをおこなった後、製品をPCから取り外し、音楽ファイルを再生するモードに切り替えました。ですが「ファイルが存在しない」という表示があり、音楽の再生が行えません。
その他の状況
1.表示言語を「英語」や「日本語」に切り替えても、不具合は発生します。
2.コピーした覚えのないディレクトリ名が表示されています。
3.ディレクトリ内に移動すると「/」という表示のみで、存在するはず音楽ファイル名は表示されません。
4.英数字のみを使用したディレクトリ名や音楽ファイル名でも表示されません。
5.音楽ファイルをルートディレクトリに置いた場合は、ファイルの認識と再生が行えます」
翌日、お詫びの一言の後「返金します」ただそれだけのメールが、入りました。
今回も使えませんでしたが、やはり欲しいので「M氏が注文した通販なら、大丈夫だろう」と信じ、でも「二度あることは三度ある」ちょっと躊躇しましたが、注文しました。そして期待と不安を持ちながら、何日か経った日、まったく予想もしないメールが入りました。
「税関に差し押さえられたので、届けられません」
結果はこうでしたが、先方の悪意とは思いたくありません。時期をみて、また挑戦(注文)するつもりの、こいしです。
まただったらですって? 不幸にもそうなりましたら、こいしノートで報告します。
MP3プレーヤー
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しじゅうからの恩返し
我が家の庭は猫の額ほどだが、昆虫はうんといる、みみず、ひき蛙も。足の踏み場もないぐらいに、草や低木があるからだろう。でも、残念ながら、小鳥は少ない。そこで、餌場を作り、呼び寄せることにした。そして対象は、しじゅうからに決めた。その理由は、こいしの財布はいつも、しじゅうから、そのよしみでである。
餌場は塗装が剥げ、錆も出ている金属製の鳥篭を再利用し、それを、やまぼうしの木に吊るした。餌は脂肪の塊と、ひまわりの種だ。鳥篭にした理由は、からすや、ひよどりが、襲ってきたり、餌を食べたりするのを防御するためである。
このアイデアが良かったようで、明け方から夕暮れまで、何匹ものしじゅうからが安心しきって啄ばんでいる。この光景を目にして、来年は、ひなを誕生させよう、その夢を持った。
善(?)は急げ、早々に材木屋へ走り、杉矢板を購入した。でも工作は、からっきし駄目な、こいし(私)である。そこで、痛飲友達のH氏に依頼した。そして、三日後、餌場から数メートル離れた、はなみずきの木に取り付け、夢をふくらませた。だが、叶わず、その翌年も。
その間、風雨にさらされ、おんぼろになった。これでは、もう使い物にならない、撤去を決めた。であっても、めんどくさがり屋の、こいし、手を下さなかった。
それが幸いしたのか、翌年の梅雨の頃、三番子だろう、ひなが「チイチイ」鳴くのを耳にした。それから、十四日、巣立っていった。
その二日後、何時ものように自室でペンを動かしていたその時、しじゅうからのひなが、小窓から、飛び込んできた。そして、フロアの上で、こいしをじっと見ていた。
外で親鳥の鳴き声がする。目から離れた、ひなを呼び寄せる、こいしはその声と判断し、そっと追い返した。すると、親鳥が待つ電線まで一気に飛び、一休みした後、家族そろって、翼を西へ向けた。
それから、一年半経った二日前、成長したあの、ひなが訪問してきた。今度は防虫網越しだった。
「記憶にありますか、私を。あの節はありがとうございました」と、言うかのように、嘴で網をとんとん、とんとん、と、いつまでも叩く。今日もまただった。
ここまで読まれた皆様は
「まゆつばだ。鳥が恩返しになんか、来るもんか。部屋へ入って来たのは事実としても、それは迷い込んだんだ。それと、鳥とか昆虫は、見た目はどれも同じ、何を根拠にしてだ? 証拠を示せ! それもしないで、クリック、お願いしますだなんて、厚かましすぎる」
と、おっしゃるでしょうが、どう思われようと結構です。こいしは、あの、ひなだと確信していますので。
どうか皆様も、試してみてください。良い思い出ができますよ。
足の踏み場もない庭
錆の出ている巣箱
親鳥が 餌を運んでいます
飛び込みました
恩返しに来た しじゅうから
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フォークダンス大会
こいし(私)は、フレークの缶詰が大好物、それも「星〇水産」のマグロ。ところが近くの店では扱っていない。なので、歩いて四十分ほどの市場へ買いに行く。今日もその目的で向かっていると、通り道にある体育館の入り口に「フォークダンス大会 入場無料」と、書いた立看板があった。無料に弱い、こいし、ちょっと覗いてみることにした。
観覧席の二階には出演者のだろう、手荷物が置いてあるだけで、観客はほんの数人だった。こいしは荷物から少し離れた席から、フロアを見下ろした。
そこには六、七十代に見える男女百人ほどが、大きな輪の中でペアを組んでいる。そして目と目をあわせ、取り合った両手を交互に上下させ、近寄ったり、離れたり、くるっと回ったりしていた。フレーズが変わると、パートナーが変わり、ステップしながら、左へ回り、また同じ動作だ。
こいしは、ふと
「老いらくの恋が芽生える? やもめ同士なら、微笑ましいが、そうでなければ、禁断の恋。それを家族が知ったなら? おお、恐ろしや、恐ろしや・・・・・・」
ダンスとは無関係な妄想に耽っていると、場内の監視員が、声を掛けてきた、不審顔で。
「知り合いの方、いらっしゃるのですか?」
物取り思われたら、心外だ。そこで
「いいえ、いません。若い頃から、興味がありましてね、それで見させてもらっています」
出まかせを口にした。
すると監視員、急に馴れ馴れしくなり
「そうなのですか、興味、おありですか。でしたら、例会に来られませんか? 月曜日の六時からで、場所は第九小学校でです。フォークは健康には最高ですよ、ぜひ、一緒にやりましょう。
参加者はご覧のとおり、お綺麗な女性が大勢さんいます。汗をかいた後は『お疲れさま会』も、ありましてね、ビール片手に、わいわいがやがや、それはそれは楽しいですよ。
それと連盟の各支部が主催する、パーティーが毎月のように、ありましてね、私は気が合った女性と行きますが、もちろん、一人でも良いのですよ。知らない女性と手を取り合うの、それも新鮮ですよ」
と、甘い言葉でくすぐる。
帰りははバスを利用し、その間、参加する、しないを考えていた。そのうち、あることを思い出し、遠慮することにした。思い出とは、こうである。
中学の運動会で「オクラホマミキサー」と「マイム・マイム」を、踊らされた。その時、こいしの何人かのパートナーは、意図的に肩を組まず、手も握らない。それには相応の思いがあってだろうが、腹立たしかった。
「あらっ、あの男の子、女の子に嫌われているようよ。きっと、不潔な子なのね」
「そうみたいね。他の子は嬉しそうに、しっかり握っているのに」
観客席から、そんな会話が聞こえてきそう、逃げだしたい、三十分だった。
この歳になって再び、ここの女性にもされたら・・・・・・このことが頭を過ぎったのである。
でも「お疲れさん会」には、出席したいなあ。
コスチュームで若返る?
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目白通りでは危ないよ
関越道に向かう大型車両も多い「目白通り」を横断しようとする、幼児とその祖母と思われる人が、ヨーイ・ドンの態勢を取っていた。そして、信号が黄色から青に変わると、全速力でこっちへ向かってきた。競争だったのだろう、この危険な光景を目にして、遠い昔を思い出した。
戦後十年、景気は上向いていたが、ピアノのレッスンを個人で受ける子は稀であった。であっても、T子は週三回、電車とバスを乗り継ぎ、一時間かけて通っていた。
五年生のクリスマスの日、百貨店のホールで催された演奏会へ、クラス仲間と聴きに行き、白のちょうちんブラウス姿で一心にピアノに向かう、T子にある種の感情を抱いた。
六年生になって、席が隣り合わせになり、それが、もっとになった。だが、それも束の間、八重桜の花が舞う頃、転校したのである。
ところが不思議、二級下の弟は登校していた。その疑問を担任に問うと「反対したのよ、だけど・・・・・・」ただそれだけを、美顔を曇らせ言った。
日本脳炎が猛威を振るった夏が過ぎ、二学期が始まった日、担任がT子から来た手紙の、おおよそを話した。
「転校して二ヶ月経つが、友達がいない。元の学校が恋しく、母に戻りたいと頼んだ。でも、駄目と怒られた。それでもと逆らったら、叩かれた。皆に会いたい、どうかクラス会に呼んで。先生からも頼んで」
児童委員長の美代子は、クラス会について全員の意見をまとめ、翌々日、T子の母を訪問し、告げた。その時のことを美代子が夕刻、電話してきた。
「Tちゃん、死んじゃったの、トラックに撥ねられて。Tちゃん、転校してから毎日、塾へ通って、それと週三回、家庭教師に来てもらっていたの。
撥ねられた日は家庭教師の日だったの。だけど塾のお勉強が長引いてね、それで帰りを急いでてね、交差点の信号が青になってすぐ道路へ出たの。その時、トラックの運転手が急ブレーキ掛けたけど、間に合わなかった。
Tちゃんのこと、先生に話したら、あの時、もっと反対していればって泣いていた。
反対って、なあにって聞いたら、こうなのよ。
Tちゃんのお母さん、Tちゃんを自分の出た、大学の付属中学に入れたかったけど、今の学校は程度が低すぎて、このままでは合格しない、そう思って、それで親戚の家に寄留させて、程度が高い小学校と進学率が抜群な塾へ通わせたの。
Tちゃんのお母さんが、転校の話しで学校へ来た時、先生、こう言って反対したの。
T子さんは優秀だから、転校しなくても大丈夫。心配なら、自分(先生)が放課後、責任もって受験指導するって言って。
たけど、お母さん、納得しなかった。
Tちゃんが、クラス会に出たいって書いた、先生への手紙、その日付、死んだ日だった。可哀そう、可哀そうだわ・・・・・・」
しっかり者で、何があっても涙しない美代子が、電話の奥で嗚咽していた。
幼児と祖母が競争した横断歩道(手前) 向こうは四差路の交差点
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「水虫」と「かぶれ」は大違い たった五分で
一週間前、左足の指が、むず痒かったが、ほっぽっておいた。
その五日後の夜は風雨が強く、ところが、朝になると雲一つない。それを見て、ハイキングに行きたくなり、天覧山(てんらんざん)を経て、多峯主山(とうのすやま)へ登ることにし、朝食もそこそこにリュックを背負った。
天覧山から、里山を少し進むと「飯能笹(牧野富太郎博士が発見、命名)」が群生し、また、常盤御前が義経を追って東國へ向かうさい、あまりの景色の良さに何度も振り返ったという伝説がある「見返り坂」に着く。
そこまで来た時、ほっぽっておいた足の指が、ずきずきし始めた。見ると、二指と三指の根もとの皮膚が裂け、血が滲み、他の指もそれに近かった。それで慌てて、手持ちの水で洗い、タオルで拭き、その後、足を引きずりながら、多峯主山を目指した。
奥多摩、奥武蔵の山並を眺めながら、ビールとサンドイッチを口にするも、痛みが気になり、二十分もしないうち、下山。
県道へ出ると折り良く、薬屋があったので、老いた店主に症状を話した。すると
「水虫のようですね、これが良く効きますよ」
と言い、棚にある一番大きな箱を差し出し、さらに続けた。
「水虫は、白癬菌が皮膚の奥に深く入っていますから、治るのに日数がかかります。ですから、小さな箱では量的に足りません。これは三倍入っていて、お金は半分ちょっとです。ですから割安です。それと患部は良く洗って、それから塗ってください、たっぷりとね」
と、親切だ。
割安の言葉にまったく弱い、こいし(私)、千六百円を手渡し、それから、水道を借り、患部を徹底的に洗い、十分すぎるほど塗った。ひりひりするが、それは治る前兆、快感すらあった。
それから一週間、一日四回、患部を良く洗い、塗り込んだが改善しない。それどころか、足の裏にも症状が出てきた。疑問と不安が湧き、皮膚科を訪問した。
医者は一目見て
「これは水虫ではなくって、たんなる『かぶれ』ですよ。軟膏を貼付(ちょうふ)しておきます。処方箋を書きますから、薬局で買って塗ってください。四日もすれば、良くなります。それと患部は、ごしごし洗わないように」
診察時間は、たったの五分。でも夜には、痛みがもう取れていた。
薬屋の、おやじ(店主)を責める気は毛頭ないが
「信用しすぎたなあ、一週間、痛かった分、損したなあ」
治癒した指を眺めながら呟く、昨今のこいしである。
天覧山 南側の風景です
見返り坂あたりの風景です
多峯主山 良い天気です
多峯主山 西側の風景です 冬の快晴日には富士山が見えるそうです
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クモ膜下出血は恐い けど 恐くない
先日、新聞に「○○さん クモ膜下出血で死去」との記事が載っていた。それを見て、Mさんを思い出した。
十五歳上のMさんは設計なので、経理の私とは仕事上の繋がりはないが、会社の行事で席が隣になり、話すうちに気が合い、飲み友だちになった。
そんなある日、冗談を言っては笑わせるMさんが、深刻な顔で、こう話した。
「一週間前の朝にね、いつもと違った、ハンマーで叩かれたような頭痛がしたんだよ。でも、暫らくするうち、治まったんだ。で、午後から出社した。ちょっと心配だったけど、どうっていうことなかった。
それから一週間は何もなかったけど、おとといの日曜の朝、また、痛みがきてね、日曜当番医へ行った。そしたら、混んでいて、二時間待ちなんだ。それで、出直すつもりで、いったん、帰ったんだ。そしたら不思議、いつのまにか、治まっていた。だから医者には行かなかった。
来週からは高層マンションの実施設計に入るんだ。日本一の高さでね、百メートルを超すんだ。頭が痛いなんて、言ってられないよ」
深刻な顔を一変させて言い、その後
「どうだい 河岸、変えないか? 可愛い娘(こ)が脇につく、バーへ行ってみない? 俺が持つから」
言って、胸をどんと叩いた。
お目当ては休んでいたが、Mさん、大いにはしゃいでいた。そして別れぎわ
「遅くまで付き合ってくれてありがとう。それではまたな」
と、笑顔で手を上げ、帰っていった。
翌日、人事部から「設計第六部 設計課長 副参与 Mさん(四十二歳)本日の早朝、クモ幕下出血で死去」と、書かれた回覧が回ってきた。
時は五年経ち、母が「クモ幕下出血」に襲われた。
夕食を告げに自室でテレビを見ているだろう母に、廊下から声をかけた。だが、返答がない。不審に思い、襖を開けると洗面器を抱いて倒れていた。
大慌てで救急病院へ搬送し、夜遅く出た検査結果は「クモ幕下出血」だった。
六日後に手術。リハビリを終えて、一ヶ月経った頃、元気になって戻ってきた。
退院のさい、執刀医は、こんな話をした。
「クモ膜下出血は経験したことのない頭痛で警鐘を鳴らす。ところが時間が経つと和らぐ。それにより、一過性と思い、普段どおりの生活を送る。しかし十日前後で、二度目が必ず来る。
経験のない頭痛があった時は、すぐに脳外科医の診察を受けるべき。そうすれば、死ぬことは極めて少ない。二度目だと、死亡率はぐんと上がって、六割以上。三度目では、もう、手遅れ。このことを、周囲の人に事あるごとに話して欲しい」
母の「クモ膜下出血」が先なら、Mさんは死んでいなかった。返す返すも残念だ。最後に別れた時の笑顔を思い出す。
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