こいしノート

エッセイ読むのも書くのも大好き人間です、小説も。 

思いやりのひと声が 大きな安心につながります 

昨年の八月、東京メトロ銀座線で、盲導犬を連れた男性が、ホームから転落し、亡くなりました。二ヵ月後の十月には、大阪の私鉄線で、やはりホームから転落した男性が、亡くなりました。

国交省によると、視覚障害者がホームから転落する事故は、平成二十四年には九十一件、二十五年は七十四件、二十六年度は八十件もあったとのことです。

それに関連し、新聞が報じていました。「目の不自由な多くの人は、転落を防ぐにはホームドアーの設置と、危険を察したら、声を掛けてくれることを望んでいる」と。

 

こいしは昨秋、写真展を鑑賞しようとJR国分寺駅で降車、朝のラッシュ時はとうに過ぎていたが、それでも多くの乗客が、エスカレーターへと向かっている。

続いて歩いていると、自販機の横で白杖を手にした中年の女性が、周りを気にするようにして立っているのに気づいた。その様子が気になり「どうされました?」声を掛けた。すると

「人と身体がぶつかると方向が分からなくなるので、空(す)くのを待っているの」と言う。

それを耳にして、先日の新聞記事を思い出し、生まれて初めての言葉「行かれる場所まで、案内しましょう」を、申し出た。

喜んだ婦人「ありがとう」と発すると、白杖を右手に持ち替え、左手で、こいしの腕をしっかり掴んだ。

「エスカレーターにします?」と問うと

「階段が良いの、それとなるべく人と対面しないように、壁寄りでお願い」と言い「お急ぎではないのですか?」と婦人、気を使う。

別れぎわ、こいしに小さく手を振り、微笑んだ。こいしも笑顔を返したが、さてどう見たのでしょう。

 

昨年の大晦日、野暮用があって、地下鉄のコンコースを歩いていると「だれでもトイレ」の中で、茶色の胴衣をつけた、黒色のゴールデン・レトリバー(※盲導犬)を連れた高齢の男性が、何かを探しているのを目にした。

そこで「何を?」を聞いてみた。すると「ドアを閉めるボタンが、分からなくって」と、困惑した表情で言う。

お安いごようだ、こいしは中へ入り「閉」のボタンのありかを教え、押させた。それで、こいしの仕事は終わり。なので外へ出ようと、もう一度「開」を押した。そして外から「閉」のボタンを押そうとした。すると、今まで黙っていた、レトリバー君が、こいしの手の甲に御手(※おて)をする、ずっしりとした。

「親切、ありがとう。僕、開閉ボタンのやり方、覚えたよ」

と、言いたげに。

 

だれでもトイレ」の仕様はどのメーカーも同じなの? ふと気になった、こいしだった。

           

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地下鉄電車内の中吊り

 

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コンコースにありました

 

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 これもコンコース

 

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 飲兵衛(のんべえ)の こいし用?

 

 

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入院 笑話

 

年始め、八つの神社(※前々回のエッセイ「神社いろいろ 狛犬もいろいろ」)で、無病息災を祈願したのですが、三日後には感冒、治ると今度はインフルエンザ、ひどい目にあいました。

五日前に床を上げ、「入院 笑話」を書き始め、やっと、こいしノートに載せられます。

 

 

三年ほど前、便が滞った。こいしには、よくあることだが、今回のは痛みが伴う。それが不安で、病院の門をくぐった。結果、憩室と分かり、入院を強いられた。

医師は一週間ほどで良くなると言ったが、それどころか日に日に、痛みが激しくなっていた。

そのようなある日、Sさんという、看護師が採血に来た。そして顔を見るなり「血は良く出るほうですか?」との質問。適当にあしらったが、おかしな人だなあ? その印象を持った。

採血ホルダーの針が入り、そろそろ終わりかな? そう思った時

「もう一度・・・お願いします」

と、すまなさそうに言う。

嫌だけど仕方がない「どうぞ」の声を返した。すると

「ありがとう」の後「落ち着いて、落ち着いて」と、自分に言い聞かせていた。

血の出方の良し悪し言葉も相まって、大丈夫かなあ、この人となった。

それが現実となり、二度目も失敗。代わりの人が採血した。

 

腹部の痛みは相変わらずだった。憩室は誤診? 疑問を持ち、再検査を求めた。その結果、大腸内に膿瘍が出来ていた。

横臥の状態なら、痛みはないが、よじると猛烈だ。それを避けようと、日に何度かのトイレは、こうしていた。

横臥のまま膝を立て、身体を九十度回転させる。それから、そっと上半身を起こし、L字型にする。次に、点滴をしていない手を使い、お尻を少しずつ前進させる。そしてベッドの端まで来たら、両足を床に着け、ゆっくり立つ。

この行動には時間が掛かる。ある日、その余裕なく、寝具を汚してしまった。

 

隠したいが、臭いでばれるのは必至。そこで大急ぎ下ばきを取替え、取りあえずゴミ箱へ入れ、その後、呼び出しブザーを押した。すると、あのSさんが小走りで来て「どうされました?」と、どんぐり眼を見開き、言う。

ことの成り行きを告げると

「あら、そうだったの。お安いことだわ、直ぐ交換しますよ。その間、談話室にいて」

採血時のおどおどさは微塵もない。

個室(※担当医の指示)へ戻ると、汚れてない掛け布団まで、新しくなっていて、窓ガラスも拭かれ、カーテンも桃色のに取り替えてあった。乱雑に置いておいた、ワゴンの諸々も、きちんと整理してあった。

この行為に感謝を述べると

「汚れた所、まだあるわ」

黄色のタオル(※黄色は下用)をビニール袋から取り出し、しゃがみながら、言った。

そこだけは勘弁して! 丁重に断った。

「あら、私の仕事、取り上げるの?」

笑顔を作った。

 

それから三週間、朝の回診時、内科部長が「明日の血液検査で問題なければ、退院ですよ」と、にこやかに口にした。

嬉しい翌朝、顔が引きつった。Sさんが、採血ホルダーを持って来たからだ。こいしの表情に気づくと「まただったら、ごめんね。先に謝っておくわ」今回は余裕がある。

無事、三本採った、Sさん、帰りしな「後で、あの時の弁明、聞いて、ねっ」と言い、足早に去った。

採血の結果は良好で、退院の許可が出た。

相部屋の人に挨拶し、ロビーに出ると、Sさんが私服姿(※夜勤明け)で待っていた。そして、あの時の話しを始めた。

「二年間、リハビリセンターにいたの。そこでは採血の仕事ないの。あの日はね、配置替えの初日で、私、カルテ見てたの。そしたら、主任が、こいしさんの採血を命令したの。

二年のブランクだし、急でしょう、とても不安だったわ。それと、こいしさんの腕、採血や点滴の針の跡がいっぱで、採り易い場所ないのよ。私、焦っちゃって。痛かったでしょう、あの後。本当にごめんなさい」

「そうか、君も大変だったんだ。でも、今日は上手かったよ」

「ありがとう。実はあの日、看護科長に、こっぴどく怒られて、特訓させられたの。それで、勘とこつが戻ったの。リハビリに行く前は、上手だったのよ、本当よ。

それとこれ、渡しそびれていたのですけれど、お家に帰ってから、開けて、ねっ」

 と言って、花模様の分厚い紙封筒を差し出した。

 

家に戻り、心をときめかし開封すると、出てきたのは粗相した時、穿(は)いていて、ゴミ箱に取りあえず入れておいた、下ばきだった、綺麗に洗濯されている。

「捨ててくれれば良かったのに。だがまてよ、Sさんの親切、大切にしなければ。よし! 入院記念にしよう、額に入れよう」

 

病院はJRの沿線にある。時々の乗車で目に入った時、ふっくらして愛らしい、艶やかな顔の、Sさんが過ぎる。

  

 

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さらば 電信柱 ありがとう

 

小池都知事は、教育機会の格差がないようにとの発想で、私立高校の授業料の無償化を決断しました。これにより、経済的理由で進学を諦めていた子が、高等教育を受けられる、この英断、喝采です。

ですが、富裕層の子女が行く、あるいは有名大学への進学実績を誇らかす、予備校的な高校も、となると疑問です。

 

知事は電信柱の撤去も言います。意義は、大規模地震への対応策、ベビーカーや車椅子でも移動しやすい空間の確保、都市景観の向上です。各区もいずれ、それをならうでしょう。そうであれば嬉しいです。

こいし(私)は、電信柱の撤去について、取るに足らないことですが、こんなことを思ったり、考えたりしました。まあ、聞いてください。

 

マーキングは犬の本能、その場所がなくなります。となれば、塀や門扉を目掛けます。それは所有者にとっては迷惑千万。そこで、こいし(私)ない頭で考え、そして結果を出しました。それはこうです。

飼い主が散歩をさせるさい、うんこ袋の他に丸太を持って行き、その動作を察したらすぐそれを立て、そこにさせるのです。どうです、名案でしよう。

 

こいしは、歩行者に道を問われると「何本目の電信柱を右に曲がって・・・・・・」と、教えます。信号機は間隔が長いので使えません。街路灯でも良いですが、昼行灯(※目だたない)ですので。やはり、電信柱が一番、でもそれが無くなります。教え方を考え直さねばなりません。

 

歩道には落し物があります。それを発見したら、こいし、電信柱に引っ掛けておきます。撤去後はどうしよう? 皆さま、良い考えありませんか? あったら、教えてください。

 

緊急事態に接した時、こいしは電信柱にあるプレートから情報を得て、警察署や消防署に連絡していました。このことは、生命にかかわること、関係者は十分な対策を、練っておいて欲しいです。

 

「痴漢に注意」、「飛び出し危険」、「○月○日に当場所で死亡事故がありました。目撃された方は○○署へ」こういった看板が、電信柱に立て掛けてあるのを、よく見ます。これからは、どうするのだろう? 

 

電柱は小さな広告塔です。昔、「旦那でなければ どんな物でも けっこうです ○○質店」とか「○(お金)は七八(※質屋)さんへ」といった、面白い看板がありました。

このように、電信柱は身近な存在でした。それにより、こいし、思い出がたくさんあります。

暴風雨のさいの電線の唸り声に恐怖を覚えた。電線やトランスに雪が積もり、それが風で「ばさ」っと落ちた音。それに驚いて「キャッ」と言って逃れた若奥さん。凧が電線に引っ掛かり、回収できずに泣いたこと。よじ登って、知らない親父に怒鳴られたことなど等。

 

皆さまにも、思い出があるでしょう。一度ゆっくり、お聞かせください。

 

 

昔ながらの、鼻の奥の痛みから始まり、頭痛、せき、高熱、くしゃみと続く風邪を引きました。やっと癒えて晩酌。幸福ってこんなもの、小さいけれど、そう感じました。

何も悪いことしないでも、風邪に襲われれます。阻止するには健康、健全な生活だけです。どうか心がけてください。

 

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    (電信柱がない風景)   

      

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     (電信柱がある風景)

 

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 (電線 その1)          (電線 その2)

  

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神社いろいろ 狛犬も いろいろ

明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願い致します 

よく晴れた元日、さて、初詣は何処に? を考えまして「そうだ、浅草寺にしよう、仲見世の賑わいも見てこよう」そう決めまして、地下鉄を乗り継ぎました。

ところが賑わいどころではありません。歩けないほどです。そこで浅草寺は諦め、浅草神社へと向かいました。

お賽銭を奮発し、心を込め「世界平和」を祈願? しました。その後、狛犬を改めて見てみました。何とも面白い表情です。それでは他の神社のは? 興味が湧きまして、浅草界隈の狛犬を観察し始めました。そうしているうちに、狛犬がいない神社もあることに気づきました。皆様、ご存知でしたか?

それでは、狛犬の表情をごらんになってください、下手な写真で申し訳ありませんけれど。(※由来はウィキぺディア等より引用)  

 

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   (浅草神社) 勇壮です。ここは、招き猫の発祥の地としては、もっとも確かだそうです。

    

 

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   (待乳山聖天)「鬼平犯科帳」の作者、池波正太郎さんが、聖天傍にて出生されたそうです。碑がありました。          

 

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    (今戸神社) 凶暴なのでしょうか、檻に入れられて

います。絵馬は、他の神社では見られない「真円形」です。    

 

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   ( 吉原神社) 吉原遊郭とともに歩んできた神社だそうです。うら若き女性から、甘酒を頂きました。ものすごく嬉しかった、こいしです。

 

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   ( 玉姫稲荷神社) 760年 京都伏見稲荷大社より、御分霊を勧請し、創設

されたそうです。

 

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   (蔵前神社) 大相撲の地。63連勝の「谷風」が「小野川」に敗れた一番は、江戸中が大騒ぎだったとのことです。

 

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   (榊神社) 宮神輿は台輪幅四尺二寸 の千貫神輿で、近隣の鳥越神社の神輿に次ぐ、大きさだそうです。

 

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   (杏岡八幡神社) 関東大震災で連れ合いは昇天、以来、独り身を守っています。寂しそうですね。 

 

「番外地域」

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   (小町神社・厚木市) 手水舎にいました。木彫りです。愛らしい狛犬、こいし、はそう見ました。 一月二日撮影。  

 

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   (八王子市) この狛犬も含めた、この辺りのことを後日(桜の季節)こいしノートで書こうと思っています。  昨年の十二月二十一日撮影  

  

        

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初詣は小遣い稼ぎ

気忙しい年の瀬になりました。皆さま、いかがお過ごしですか、お伺いいたします。

 つい先日、テレビのニュースで、近隣住民が「除夜の鐘」が煩いので、中止せよと神社側に迫り「除の鐘」で、妥協したと報じていました。年に一度、それも数時間、我慢できないのかなあ、こいし(私)は思うのですが。

 昭和三十年代頃の、こいしの元日は、一年の邪気を除くと言う、若水を汲むことから始まります。他の家は誰の役目かは分かりませんが、我が家では家族で一番若い者がすると決まっていたからです。ですから、もうずっと、こいしなのです。

水、汲むくらい簡単なことだ、ですって? 冗談ではありません。北風吹く寒い早朝、外の掘り抜き井戸から、手動ポンプでバケツに汲み、それを屋内の甕(かめ)まで持って来て、背伸びして入れるのですよ、それも二十杯も。(※当時のこいし、小学生)

 この不公平さを、父に訴えました。そうしましたら

「ばあちゃんだって、父ちゃんだって、二人の兄ちゃんだって、姉ちゃんだって、皆、順繰りにしてきたんだよ。妹や弟が生まれれば、しなくても良いのだから、不公平でも何でもない、そうだろう」

と、けろっと言いました。

ならばと台所に立つ母に

「母ちゃん、僕の後ろの子、早く産んでよ」

 と、頼みました。すると

「何、言うんだねえ、新年早々、薮から棒に。母ちゃんはねえ、もう五十に手が届くんだよ、無理だよ、産むなんて。馬鹿なこと言ってないで、お膳、手伝いな!」

 映画の寅さんではないですが、「末っ子はつらいよ」です。

 

朝食の雑煮が終わると、毎年、必ず、父にくっ付いて初詣に行きます。くっ付いていく理由はこうです。

父は石造りの鳥居をくぐると、賽銭用にと十円札三枚をくれます。ですが、こいし、賽銭箱には入れず、父が神前で二礼二拝し、低頭を始めた隙に、ポケットにしまいこむのです。まあ、他人に迷惑かけない、ちょろまかしですね。

父は梯子酒(はしござけ)、大好き人間です。初詣もそうで、二十分ほど歩いた場所にある、古寺へ向かいます。そこでも、こいし、三十円、ポケットに。

 

エッセイをここまで書いた、こいし、大慌てで神社と古寺へ行き、当時の三十円を現在に換算した額のお札を賽銭箱に入れ、ちょろまかしたことを、心の底から謝りました。神様と大日如来様、どう思ってくれたかな?

 

と言うわけで、今回のエッセイは尻切れとんぼになってしまいました、ごめんなさい。 

 

それでは皆さま、良いお正月を

 

 

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この神社で三十円

 

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このお寺でも三十円 

 

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オペラは楽し

 新春の三日、三年ぶりにガラコンサート(※NHKニューイヤーコンサート)へ行きます。国内では第一級の顔ぶれですので、楽しみです。こいし(私)がオペラに興味を持ったのは、M氏から十年ほど前、飲む席で魅力を聞いてです。

M氏は別れぎわ

「どうだい、オペラのDVD、俺んちで見ないか? 飲みながら・・・・なあ、来なよ」

と、半ば強引に誘いました。

「飲みながら」に弱い、こいし「行くよ、行くよ」と、即答です。

当日、笑顔で迎えてくれた、M氏は

「最初は分かり易いオペレッタにするよ。それなら、退屈しないで、終わりまで見られるだろうから」

と言い「こうもり(※J・シトラウス)」のDVDをデッキにセットしました。

筋書きの面白さもさることながら、登場人物の声量や、夜会の豪華な衣装に驚き、終幕の「すべて酒のせい」と歌う、ルチア・ポップの熱演に感動しました。

(※ルチア・ポップは、艶やかだが深みと張りのある声質が特徴的で品格のある表現で評価が高かった。ウイキぺディアより)

 

翌月は「天国と地獄(オッフェンバック)」その次の月は、こいしの家に場所を移し、そしてオペラに変へ「魔笛モーツアルト)」、「アイーダヴェルディ)」、「蝶々夫人プッチーニ)」、「乾杯の歌」で有名な「椿姫(ヴェルディ)」と続き、とうとうM氏が保有する二十本、全部見てしまいました。

そうしているうちに、こいしはオペラの虜(とりこ)になるのです。ですが、グランドオペラのチケットが高く、おいそれとは買えません。なので、名が通る歌手のソロコンサートで楽しんでいました。

 

七年ほど前、岡村喬生氏の「冬の旅(※シューベルト)」を聴きに行った時、氏が江東区の後援を受け「誰でも歌えるようになる教室」(※現在は、心に乗せて歌う教室)を主宰していることを知りました。

世界的なバリトン歌手が、ずぶの素人をどうやって歌えるようにする? で、その成果は? それを知ろうと、翌年の発表会へ行きました。

二十人ほど出演していましたが、どの人も上手です。こうだと一年後は、どれほどまでになる? また興味が出で、翌年も行きました。

そうしましたら、歌唱力がさらに増し、衣装も歌に合わせ、表情も豊かになっていました。歌う楽しさを知ったのでしょう。世界的な歌手、岡村喬生氏の指導、さすがだと思い知りました。

だったら「こいしも習って、舞台に立てよ。歌う楽しさ、経験しなよ」ですって?

駄目駄目、無理無理、小、中、高校(※高校は二年まで)の音楽は5段階の2、並外れの音痴ですもの。

 

インフルエンザ、ノロウイルスの季節到来です。十分な睡眠、適度な運動、腹八分、熱を通した食べ物で、そして帰宅後の手洗い、うがいを実行され、菌を撃退してください。忘れました、百薬の長も毎晩、二合ほど。それも日本人にあった、日本酒で。

「二合は飲みすぎだ、それに毎日は良くない、アル中になる! 肝臓にだって悪い。せいぜい一合、それも休肝日を取ってだ!」ですって? 

 

そうかなあ・・・・・・

 

 

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アイーダ 第二幕 凱旋の場    (成美堂出版 オペラガイドより)

 

 

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蝶々夫人 第二幕 ピンカートンの帰りを待ち望む 蝶々さん (成美堂 オペラガイドより)  

 

 

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 椿姫 第一幕 再会を約束する ヴィォレッタとアルブレード  (成美堂 オペラガイドより)

  

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ハエ(蝿)捕り コンクール

 

壺井栄の小説に「二十四の瞳」という、名作があります。書き出しは「十年をひとむかしというならば、この物語の発端はいまからふたむかし半もまえのことになる」と、こうでした。これを引用するなら、今日の、こいしのエッセイは、ろくむかしまえのことになります。

 

東京の西部から流れ来る「石神井川」を挟むようにして、昔のそこは見渡すかぎり、水田だった。その一角は窪地になっていたが、誰が捨て始めたのか、いつの間にか「ゴミ山」と化していた。

 

小学三年生になった初夏、担任の「ばっちゃん先生」が授業の前にこう言った。

「暑くなると、ばい菌をいっぱいくっ付けた、ハエ(蝿)が食べ物に止まりますよね。それが色々な病気のもとになるの。それで、少しでも少なくしようと『ハエ捕りりコンクール』を、学校ぐるみですることになったの。

でね、捕ったハエを、今から配る封筒に入れて、昇降口に置いてある木箱へ入れてちょうだい。明日でも良いのよ。一等から六等まで、校長先生が表彰してくれるの。だから、皆、頑張ってね、先生も頑張るね」

 

こいしは授業など、もうそっちのけで、どうすれば一等になれるかを考え、そのうち大きくうなずき、授業が終わると一目散で家へ帰り、物置から捕虫網を探し出すと、ゴミ山へと小走りで向かった。そして封筒が膨らむほど捕った。そして、翌朝「神様、どうか、僕を一等にしてください」と念じつつ、木箱にそっと入れた。

 

二週間後、こいしは賞状と副賞の「コーリン鉛筆」半ダースを手にし、喜び勇んで、頼まれた着物を縫う、母に報告した。

「なんだって? ハイ(※何故か、母はハイと言う)捕りコンクールで一等? で、何匹だったの?」

「秤(はかり)で計ったみたいで、何匹かは分かんない。ばっちゃん先生が『瀬淵君(※こいしの苗字)のお家、いっぱい飛んでて良かったね』って言った」

「冗談じゃない、見てみな、一匹だっていやしない! で、どこで捕った?!」

「ゴミ山」

「ゴミ山だって? 母ちゃんはPTAの役員だよ、それも書記。その家がハイや蛆(うじ)が、うじゃうじゃいるなんて思われたら心外だ。

直ぐ学校へ行って、ゴミ山で捕ったと言ってきな。そう言わなきゃ、父兄の誰だって、先生の言うとおりだと思うだろ! 恥ずかしくって顔向けできない! さあ、早く、行って行って! いやなら、晩御飯、なしだ!」

鬼の形相で言い、鯨尺(竹製の和裁用物差し)を、振り上げた。

母の怒りには慣れっこなので、ほとぼりが冷めるまで、幼馴染の「まーちゃん」の家で時を過ごしていた。

 

その日の夜、夕飯にありつけたかですって? それはご想像にお任せします。

 

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 当時はひばりが高く舞い ツバメが飛び交っていました 土手にはヨメナやセリが新芽を出してぃました よく摘み草したものです 今は面影ありません 

 

 

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それでも コサギが何かをついばんでいました

 

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マガモもです

  

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