タブレットは すご~い
若く逝った童謡詩人、金子みすゞさんの作品に
「青いお空のそこふかく 海の小石のそのままに 夜がくるまでしずんでる 昼のお星はめにみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」
というのがある。
しかし、今は昼間でも見られる、ただし、タブレットではあるが。
この詩に感銘を受けていた、こいし(私)、タブレットを貰うと直ぐ、昼の星を見たくなり、太陽が子午線を通過する時間に合わせ、それを南極点へ翳(かざ)した。すると左に「りゅうこつ座」。その下に「ほ座」が、その右に「みなみ十字座」が、画面に出た。どれも知らない星座である。
「みなみ十字座」の下には、名前だけは知っている「ケンタウルス座」が見える。拡大してみると、大小、十八の白丸(※バックが黒なので白)があり、それを繋ぐ線を骨格にした、上半身は人間で下半身は馬の胴体の『ケンタウルス』の勇姿があった。
画面を下に向けても星が映っていた。これ、何処にある星? それを知ろうと、画面をぐるぐる回転させ、それにより、地球の裏側の星と分かった。赤道半径が六千余キロメートルもあるのに・・・・・・とても不思議だ。
もっと不思議なのは、閉め切った部屋で布団を被って、アイコン(ボタン)を押すと、星が映ることである。天井の上には光を通さない瓦屋根、畳の下は板張り、その下には断熱材、床下の基礎はコンクリート造、なのにどうして?
それを簡単に成し遂げる、タブレットの機能の良さは凄い。とは言え、みすゞさんの詩の良さとは全く別物である。
驚きはまだある。翻訳アイコンを押すと、瞬時に和文が英訳され、英文が和訳されることだ。
二十八歳の時、出張で東南アジアの田舎へ、一人で行ったことがある。英会話が全く駄目なこいし、やっとの思いで現地に着き、やっとの思いで帰国。その証拠に体重が五キロも減っていた。
当時、タブレットがあったなら、こんな苦労はなかっただろうに、甘いかな?
タブレットは、ある人からのプレゼントです。その人、にこやかに、こう言いました
「足腰が立たなくなって、介護施設に入った時、これでいろいろ楽しんでちょうだい。『こいしノート』これを使ってブログ村に出して・・・・・・いつまでも書くのよ」
誰だ、そいつ(その人)? 男か? 女か? 歳は? どういった関係だ? 白状しろ!
それらの質問には、百条委員会に招致されても、お答えできません、あしからず。
明日、京都へ旅してきます。愛くるしい、お地蔵さまに逢いに。
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言わずもがな
二十年ほど前になりますが、購読する新聞が、河津桜が見頃だと、写真入りで報じました。初めて知った桜を見たさに、ドライブがてら週末に行ってみました。
河津川の両岸に沿い、八百本、それはそれは見事でした。こいし、急に欲しくなり、帰路、苗木二本を買いました。一本は我が家、もう一本はある場所に、と考えてです。
[我が家に植わった河津桜]
園芸店の亭主は「日当たりが良ければ、再来年には咲くよ」と、言ったのですが、どうしてどうして、五年後でした。咲いたのはとても嬉しかったですが、何年後から、困り事が生じました。
植えた当初、我が家の南と西側は空地でした。ですが、毎年のようにの近代風な家が建ったのです。そこに落葉が、西風、北風、それに身を任せ舞い込み、迷惑をかける、そのことです。
家の方々は「お気を使われないで良いですよ」と、おっしゃいますが、そうもいきません。なので常に監視し、あれば箒と塵取りで出陣です。それは、とても面倒、それが高じ、切り倒すことにしました。ですが、出来ませんでした。
近くに大きな、養護老人ホームがあります。そこの居住者が、ヘルパーさんが押す車椅子で見に来ます。そして、言うには
「毎年、楽しませてもらっています。来年も見たいです。でももう九十八・・・・・・」
またある人は
「去年、一緒に見た人で、今は寝たきりになった人に見せたいの。一枝、頂けません?」と、遠慮がちに。
またある人は
「正月三日に亡くなった人が、今年も見たいと言ってました。見せたかった」と。
このような人たちの気持ちを察して、それが理由です。
何かがあって、施設が閉鎖されたら、切り倒される運命の河津桜なのです。
[みかん山に植わった河津桜]
購入したもう一本は、八幡浜(※愛媛県)で、みかんを作る知人に送りました。
予讃線で「夜昼トンネル」を抜けると一面、みかん山です。春まだ浅い頃は、濃い緑のみかんの葉だけです。それを借景に、河津桜を咲かせたい、そう思ってです。
車窓の人たちが
「まあ、もう桜、見たことのない桜だわ、品種は何かしら?」
「ピンクが鮮やかね、綺麗だわ。でもどうして一本だけなの? 不思議だわ」
そういった声も期待して。
知人は、こいしの意を快く受け入れ、列車から良く見える、日当りの良い場所に植樹してくれました。そして、伸びるがままに育ててくれました。
ある年のある日、知人に桜の様子を聞きました。するとこのような返事です。
「乗客の感嘆、感想は見聞していないが、この界隈では有名になっていて、満開の週末には、プロ、アマの写真家が遠くから、近くから、レンズを向けている」と。
二本の河津桜、どちらが幸せ? 言わずもがなですね。
こいしの庭の河津桜 満開になりました(二月十七日撮影)
最後の一葉
(一月十五日撮影)
(グーグルマップの画像を引用しました)
手前が予讃線で、横を走る国道の車の中から
スマホで撮りました
(一月三十一日撮影)
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女高生の会話で
スマホがまだ無い時代、電車に乗っている人は、新聞や週刊誌を読んだり、居眠りしたり、お喋りしたり、いろいろだった。
ある日、出勤する電車の中で上司のKさん、女高生の会話を耳にした。
「あの人、あんなに新聞くっつけて、よく読めるわね」
「あの方、白内障だと思うわ。じいちゃんも、ああだったもの。でもね、簡単な手術で治ったのよ。早く手術したら良いのに」
この頃、書類が見え難くなっていた、Kさん、ひょっとして、俺、白内障? ふと思った。気が急いて、その日の午後、眼科医へ行き、その結果、ひょっとしてが当たっていた。
Kさんは大の酒好き、こいし(私)もそう。なので就業後、酒処へよく行く。今日もで、「お疲れさん」の常套句の後、Kさん、白内障のあれこれを話し始めた。掻い摘むと、こうである。
「目が物を見るには網膜に景色が正しく映し出されることと、その情報を大脳に正しく伝えられることが不可欠である。それには、網膜まで確実に光が届かねばならない。
水晶体が白濁すると、光が眼の中に十分入らなくなり、物が薄暗く見える、それが白内障。では、何故白濁する?
その要因は種々あるが、高齢からが一番。何年もの間、休みなく活躍して疲れ果て、機能の正常さが失われるからである。手術は濁った水晶体を取りのけて、人口レンズを入れる。短時間で終わり、その日に帰れる」
得意げに話した、Kさん、ビールをもう二本注文すると、思い出したように
「こい君、君、健康診断で、網膜血管硬化症って言われただろう? で、精密検査、どうだった?」
と、問うてきた。
「まだ、行ってないんです」
と答えると
「なにぐずぐずしてるんだ。明日、眼科医へ行って来な、部長命令だ!」
と言明。
行かざるを得なくなり、しぶしぶ行くと眼科医が、こう話した。
「高血圧が何年も続くと動脈が、しだいに弾力を失うのです。次の段階で血管壁の性質が変化して厚くなります。これが動脈硬化で、この症状が網膜に出たのは脳梗塞の前兆です。専門医を紹介しますので『MRI』検査をお願いしたら、良いと思います。ぜひ、そうしてください」
MRIは問題なかったが、これを機に生活習慣を改めた。諸悪の根源、煙草も止めた。これにより、今日まで長らえた。
Kさん、今は札幌の人。今年届いた年賀状に「孫の結婚式で、五月五日に上京する。一杯やりたい」と、書いてあった。
待ち遠しいその日が来たら、聞いてみたいことがある。白内障の切っ掛けを作ってくれた、二人の女高生「どんな娘(こ)だったの? 綺麗だったの? 清楚だった?」
どうでもよいことではあるが、こういったことに興味を持つ、こいしである。
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思いやりのひと声が 大きな安心につながります
昨年の八月、東京メトロ銀座線で、盲導犬を連れた男性が、ホームから転落し、亡くなりました。二ヵ月後の十月には、大阪の私鉄線で、やはりホームから転落した男性が、亡くなりました。
国交省によると、視覚障害者がホームから転落する事故は、平成二十四年には九十一件、二十五年は七十四件、二十六年度は八十件もあったとのことです。
それに関連し、新聞が報じていました。「目の不自由な多くの人は、転落を防ぐにはホームドアーの設置と、危険を察したら、声を掛けてくれることを望んでいる」と。
こいしは昨秋、写真展を鑑賞しようとJR国分寺駅で降車、朝のラッシュ時はとうに過ぎていたが、それでも多くの乗客が、エスカレーターへと向かっている。
続いて歩いていると、自販機の横で白杖を手にした中年の女性が、周りを気にするようにして立っているのに気づいた。その様子が気になり「どうされました?」声を掛けた。すると
「人と身体がぶつかると方向が分からなくなるので、空(す)くのを待っているの」と言う。
それを耳にして、先日の新聞記事を思い出し、生まれて初めての言葉「行かれる場所まで、案内しましょう」を、申し出た。
喜んだ婦人「ありがとう」と発すると、白杖を右手に持ち替え、左手で、こいしの腕をしっかり掴んだ。
「エスカレーターにします?」と問うと
「階段が良いの、それとなるべく人と対面しないように、壁寄りでお願い」と言い「お急ぎではないのですか?」と婦人、気を使う。
別れぎわ、こいしに小さく手を振り、微笑んだ。こいしも笑顔を返したが、さてどう見たのでしょう。
昨年の大晦日、野暮用があって、地下鉄のコンコースを歩いていると「だれでもトイレ」の中で、茶色の胴衣をつけた、黒色のゴールデン・レトリバー(※盲導犬)を連れた高齢の男性が、何かを探しているのを目にした。
そこで「何を?」を聞いてみた。すると「ドアを閉めるボタンが、分からなくって」と、困惑した表情で言う。
お安いごようだ、こいしは中へ入り「閉」のボタンのありかを教え、押させた。それで、こいしの仕事は終わり。なので外へ出ようと、もう一度「開」を押した。そして外から「閉」のボタンを押そうとした。すると、今まで黙っていた、レトリバー君が、こいしの手の甲に御手(※おて)をする、ずっしりとした。
「親切、ありがとう。僕、開閉ボタンのやり方、覚えたよ」
と、言いたげに。
「だれでもトイレ」の仕様はどのメーカーも同じなの? ふと気になった、こいしだった。
地下鉄電車内の中吊り
コンコースにありました
これもコンコース
飲兵衛(のんべえ)の こいし用?
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入院 笑話
年始め、八つの神社(※前々回のエッセイ「神社いろいろ 狛犬もいろいろ」)で、無病息災を祈願したのですが、三日後には感冒、治ると今度はインフルエンザ、ひどい目にあいました。
五日前に床を上げ、「入院 笑話」を書き始め、やっと、こいしノートに載せられます。
三年ほど前、便が滞った。こいしには、よくあることだが、今回のは痛みが伴う。それが不安で、病院の門をくぐった。結果、憩室と分かり、入院を強いられた。
医師は一週間ほどで良くなると言ったが、それどころか日に日に、痛みが激しくなっていた。
そのようなある日、Sさんという、看護師が採血に来た。そして顔を見るなり「血は良く出るほうですか?」との質問。適当にあしらったが、おかしな人だなあ? その印象を持った。
採血ホルダーの針が入り、そろそろ終わりかな? そう思った時
「もう一度・・・お願いします」
と、すまなさそうに言う。
嫌だけど仕方がない「どうぞ」の声を返した。すると
「ありがとう」の後「落ち着いて、落ち着いて」と、自分に言い聞かせていた。
血の出方の良し悪し言葉も相まって、大丈夫かなあ、この人となった。
それが現実となり、二度目も失敗。代わりの人が採血した。
腹部の痛みは相変わらずだった。憩室は誤診? 疑問を持ち、再検査を求めた。その結果、大腸内に膿瘍が出来ていた。
横臥の状態なら、痛みはないが、よじると猛烈だ。それを避けようと、日に何度かのトイレは、こうしていた。
横臥のまま膝を立て、身体を九十度回転させる。それから、そっと上半身を起こし、L字型にする。次に、点滴をしていない手を使い、お尻を少しずつ前進させる。そしてベッドの端まで来たら、両足を床に着け、ゆっくり立つ。
この行動には時間が掛かる。ある日、その余裕なく、寝具を汚してしまった。
隠したいが、臭いでばれるのは必至。そこで大急ぎ下ばきを取替え、取りあえずゴミ箱へ入れ、その後、呼び出しブザーを押した。すると、あのSさんが小走りで来て「どうされました?」と、どんぐり眼を見開き、言う。
ことの成り行きを告げると
「あら、そうだったの。お安いことだわ、直ぐ交換しますよ。その間、談話室にいて」
採血時のおどおどさは微塵もない。
個室(※担当医の指示)へ戻ると、汚れてない掛け布団まで、新しくなっていて、窓ガラスも拭かれ、カーテンも桃色のに取り替えてあった。乱雑に置いておいた、ワゴンの諸々も、きちんと整理してあった。
この行為に感謝を述べると
「汚れた所、まだあるわ」
黄色のタオル(※黄色は下用)をビニール袋から取り出し、しゃがみながら、言った。
そこだけは勘弁して! 丁重に断った。
「あら、私の仕事、取り上げるの?」
笑顔を作った。
それから三週間、朝の回診時、内科部長が「明日の血液検査で問題なければ、退院ですよ」と、にこやかに口にした。
嬉しい翌朝、顔が引きつった。Sさんが、採血ホルダーを持って来たからだ。こいしの表情に気づくと「まただったら、ごめんね。先に謝っておくわ」今回は余裕がある。
無事、三本採った、Sさん、帰りしな「後で、あの時の弁明、聞いて、ねっ」と言い、足早に去った。
採血の結果は良好で、退院の許可が出た。
相部屋の人に挨拶し、ロビーに出ると、Sさんが私服姿(※夜勤明け)で待っていた。そして、あの時の話しを始めた。
「二年間、リハビリセンターにいたの。そこでは採血の仕事ないの。あの日はね、配置替えの初日で、私、カルテ見てたの。そしたら、主任が、こいしさんの採血を命令したの。
二年のブランクだし、急でしょう、とても不安だったわ。それと、こいしさんの腕、採血や点滴の針の跡がいっぱで、採り易い場所ないのよ。私、焦っちゃって。痛かったでしょう、あの後。本当にごめんなさい」
「そうか、君も大変だったんだ。でも、今日は上手かったよ」
「ありがとう。実はあの日、看護科長に、こっぴどく怒られて、特訓させられたの。それで、勘とこつが戻ったの。リハビリに行く前は、上手だったのよ、本当よ。
それとこれ、渡しそびれていたのですけれど、お家に帰ってから、開けて、ねっ」
と言って、花模様の分厚い紙封筒を差し出した。
家に戻り、心をときめかし開封すると、出てきたのは粗相した時、穿(は)いていて、ゴミ箱に取りあえず入れておいた、下ばきだった、綺麗に洗濯されている。
「捨ててくれれば良かったのに。だがまてよ、Sさんの親切、大切にしなければ。よし! 入院記念にしよう、額に入れよう」
病院はJRの沿線にある。時々の乗車で目に入った時、ふっくらして愛らしい、艶やかな顔の、Sさんが過ぎる。
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さらば 電信柱 ありがとう
小池都知事は、教育機会の格差がないようにとの発想で、私立高校の授業料の無償化を決断しました。これにより、経済的理由で進学を諦めていた子が、高等教育を受けられる、この英断、喝采です。
ですが、富裕層の子女が行く、あるいは有名大学への進学実績を誇らかす、予備校的な高校も、となると疑問です。
知事は電信柱の撤去も言います。意義は、大規模地震への対応策、ベビーカーや車椅子でも移動しやすい空間の確保、都市景観の向上です。各区もいずれ、それをならうでしょう。そうであれば嬉しいです。
こいし(私)は、電信柱の撤去について、取るに足らないことですが、こんなことを思ったり、考えたりしました。まあ、聞いてください。
マーキングは犬の本能、その場所がなくなります。となれば、塀や門扉を目掛けます。それは所有者にとっては迷惑千万。そこで、こいし(私)ない頭で考え、そして結果を出しました。それはこうです。
飼い主が散歩をさせるさい、うんこ袋の他に丸太を持って行き、その動作を察したらすぐそれを立て、そこにさせるのです。どうです、名案でしよう。
こいしは、歩行者に道を問われると「何本目の電信柱を右に曲がって・・・・・・」と、教えます。信号機は間隔が長いので使えません。街路灯でも良いですが、昼行灯(※目だたない)ですので。やはり、電信柱が一番、でもそれが無くなります。教え方を考え直さねばなりません。
歩道には落し物があります。それを発見したら、こいし、電信柱に引っ掛けておきます。撤去後はどうしよう? 皆さま、良い考えありませんか? あったら、教えてください。
緊急事態に接した時、こいしは電信柱にあるプレートから情報を得て、警察署や消防署に連絡していました。このことは、生命にかかわること、関係者は十分な対策を、練っておいて欲しいです。
「痴漢に注意」、「飛び出し危険」、「○月○日に当場所で死亡事故がありました。目撃された方は○○署へ」こういった看板が、電信柱に立て掛けてあるのを、よく見ます。これからは、どうするのだろう?
電柱は小さな広告塔です。昔、「旦那でなければ どんな物でも けっこうです ○○質店」とか「○(お金)は七八(※質屋)さんへ」といった、面白い看板がありました。
このように、電信柱は身近な存在でした。それにより、こいし、思い出がたくさんあります。
暴風雨のさいの電線の唸り声に恐怖を覚えた。電線やトランスに雪が積もり、それが風で「ばさ」っと落ちた音。それに驚いて「キャッ」と言って逃れた若奥さん。凧が電線に引っ掛かり、回収できずに泣いたこと。よじ登って、知らない親父に怒鳴られたことなど等。
皆さまにも、思い出があるでしょう。一度ゆっくり、お聞かせください。
昔ながらの、鼻の奥の痛みから始まり、頭痛、せき、高熱、くしゃみと続く風邪を引きました。やっと癒えて晩酌。幸福ってこんなもの、小さいけれど、そう感じました。
何も悪いことしないでも、風邪に襲われれます。阻止するには健康、健全な生活だけです。どうか心がけてください。
(電信柱がない風景)
(電信柱がある風景)
(電線 その1) (電線 その2)
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神社いろいろ 狛犬も いろいろ
明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願い致します
よく晴れた元日、さて、初詣は何処に? を考えまして「そうだ、浅草寺にしよう、仲見世の賑わいも見てこよう」そう決めまして、地下鉄を乗り継ぎました。
ところが賑わいどころではありません。歩けないほどです。そこで浅草寺は諦め、浅草神社へと向かいました。
お賽銭を奮発し、心を込め「世界平和」を祈願? しました。その後、狛犬を改めて見てみました。何とも面白い表情です。それでは他の神社のは? 興味が湧きまして、浅草界隈の狛犬を観察し始めました。そうしているうちに、狛犬がいない神社もあることに気づきました。皆様、ご存知でしたか?
それでは、狛犬の表情をごらんになってください、下手な写真で申し訳ありませんけれど。(※由来はウィキぺディア等より引用)
(浅草神社) 勇壮です。ここは、招き猫の発祥の地としては、もっとも確かだそうです。
(待乳山聖天)「鬼平犯科帳」の作者、池波正太郎さんが、聖天傍にて出生されたそうです。碑がありました。
(今戸神社) 凶暴なのでしょうか、檻に入れられて
います。絵馬は、他の神社では見られない「真円形」です。
( 吉原神社) 吉原遊郭とともに歩んできた神社だそうです。うら若き女性から、甘酒を頂きました。ものすごく嬉しかった、こいしです。
( 玉姫稲荷神社) 760年 京都伏見稲荷大社より、御分霊を勧請し、創設
されたそうです。
(蔵前神社) 大相撲の地。63連勝の「谷風」が「小野川」に敗れた一番は、江戸中が大騒ぎだったとのことです。
(榊神社) 宮神輿は台輪幅四尺二寸 の千貫神輿で、近隣の鳥越神社の神輿に次ぐ、大きさだそうです。
(杏岡八幡神社) 関東大震災で連れ合いは昇天、以来、独り身を守っています。寂しそうですね。
「番外地域」
(小町神社・厚木市) 手水舎にいました。木彫りです。愛らしい狛犬、こいし、はそう見ました。 一月二日撮影。
(八王子市) この狛犬も含めた、この辺りのことを後日(桜の季節)こいしノートで書こうと思っています。 昨年の十二月二十一日撮影
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