こいしノート

エッセイ読むのも書くのも大好き人間です、小説も。 

逢いたい人と 絶対に会いたくない女

五十代の頃はゴールデンウイークが来ると、ドライブしたくなり、遠出をしていました。ですが老いたのでしょうか、近頃は近場です。

 

風薫る今日は、板橋区にある「乗蓮寺」へ向かいました。そこには登山家であり、冒険家でもある「植村直巳さん」の、お墓があります。一度、訪れたいと思っていたからです。

 常蓮寺は東上線成増駅から、バスで二十分ほどですが、健康のため、徒歩にしました。駅前にある案内図を頭に入れ、出発したのですが、生まれつきの方向音痴、迷いに迷ってしまいました。

ですがそのおかげで、公園のため池で、のんびり釣り糸を垂らす人や、区立板橋美術館が催す「ルポルタージュ絵画展」を見ることができました。都内ではここだけでしょう、滝もです。

 

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     (釣れるの?)

 

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   (絵画展のポスター 表と裏) 

 

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    (透明な水は写りません、ですが間違いなく滝です)

 

 これらに時間を多く費やし、二時間後、墓前に。そしてアラスカ山脈の主峰、マッキンリー、6194メートルの雪山で眠る、故人に手を合わせました。そうしている間、映像で見た笑顔が脳裏に浮かびます。もう一度、お逢いしたいものです。

  

墓石には「草野心平」の言葉。

「地球にはもう彼はいない けれども生きている 修身に化けて 植村直巳は私達の中に生き続ける」

     

  

墓参の後、境内を巡りました。

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 (本堂)               (錦鯉が優雅に泳いでいます)

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 (日本で三番目に大きい大仏様です  (七福神) 

  材質は青銅 重量32t 座高8,2m)

 

山門を下ってふと目を左に向けると、閻魔堂がありました。閻魔大王の横に奪衣婆(だつえば)がいます。

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    (絶対に会いたくない奪衣婆 手前は十王)

 

奪衣婆は、三途の川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼。剥ぎ取った衣類は懸衣翁(けんえおう)という老爺によって衣領樹(えりようじゅ)にかけられる。

衣領樹にかけた亡者の衣の重さはその者の生前の業が現れ、その重さによって死後の処遇を決めるとされる。俗説ではあるが、奪衣婆は閻魔大王の妻であるという説もあるとあります。(※ウィキぺディアより、一部引用)

 

こいしもいつか、三途の川を渡ります。「嫌だなあ、この婆(ばばあ)に会うの」

 

ここから百メートルほどの所に、武蔵野の面影を色濃く残す丘陵をそのままにした、約三千坪の植物園があります。そこではおよそ、六百種の樹木、草花、山野草が育てられています。

季節によっては、カタクリ、シモバシラ等、都内ではあまり見られない花が、咲くとのことです。(※シモバシラは花かなあ?)

こいしが訪問した日は、ボタンとナンジャモンジャ(※主に関東地方で、その地域で見られなかったり、きわめて珍しかったりする大木をさしていう語。小学館大辞泉)が見ごろでした。

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 (他の種類も多数あります)  (ナンジャモンジャのなかのヒトツバカゴ)

  

植物園としては小規模ですが、その分、手入れが行き届いています。ご一報くだされば、案内させていただきますよ。

 

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こいしの作品展

 

若い頃に感銘した本をもう一度と、押入れの隅にある、古本だけのダンボール箱の中を、ひっくり返していると、長兄に、両親のどちらかが買い与えたと思われる「バットのチェ」という、この本が出てきました。

 

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内容は「ゴールデンバット(※煙草の銘柄)」の空き箱で作る、動物などの手順と図面です。

 

表紙をめくると完成品の写真。

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(立体的な作品)

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(貼り絵の作品)

 

本の紙は赤茶け、しみだらけで、持った手から落としでもしたら、ページがばらばらになって畳に散乱する、そう思われるほどの、おんぼろです。なので「いつの出版?」その疑問が湧きました。そこで、奥書を見てみました。すると、昭和七年十二月二十日発行、定価金八十五銭とありました。

「八十五年前の八十五銭は、今ならどれくらいなの?」

その疑問を解決しようと、急ぎ図書館へ。

その結果は、砂糖600gで21銭、味噌3,75㎏で85銭、醤油1,8ℓで56銭、エビスビール一本33銭でした。

それをメモし、最寄のスーパーへ行きました。そして値札のラベルを見ましたら、砂糖1kgで169円、味噌750gで250円、醤油1ℓで208円、そしてエビスビールは340円でした。

暗記は無理なのでメモしていると、意地悪そうな狐顔した中年女の店員が

「あの爺(じじい)何をメモってるんだ?」

というように、商品をわざとゆっくり並べながら、こいしをちらちら見てました。

帰宅してすぐ、値上がり額を計算してみました。すると予想もしない913倍でした。そうであるなら「ゴールデンバットのチエ」は、約860円になります。(※大よその、大よそ数字ですが)

 

著者の巻頭言はこうです。

「近時漸く重要視せらるるに至った児童の手工教育は情操教育の一助ともなり、乃至は尚母たり師父たる方の伴侶となり得ば編者の幸いであります」

この本のが高いか安いかは、著者の意に沿うか、沿わないか、あるいは沿えないか、それしだいでしょう。

 

近代経済学はこれまでにして、作り方のページを開きました。

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 (らくだの手順と図面)

 

ぶきっちょな、こいしでは、この「らくだ」は無理。で、一番易しそうな「ひよこ」に挑戦しました。

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 (ゴールデンバットの箱がないので、森永キャラメルの箱で代用)

 

「下手だなあ、ああ、情けない」自分ながら呆れていると、知人の呼ぶ声。

「何してるの?」

 家に上がってもらい、ひよこを見せました。

知人、手に取ると、こいしを気の毒そうに見て「僕が作るから、見てな」と言い、ちょこちょこちょこっと作り上げました。

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(知人の作品)

 

多少、こつが分かったので、再び挑戦。

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(何だか、分かります?)

 

動物の設計図は二十六、あります。時間をかけ、丁寧に製作し、その後「こいし動物園」を開こうかな、入り口の看板は貼り絵で。そんな夢を持ちました。

 

この本に興味を持たれた方、どうぞ遊びに来てください。お茶とお茶菓子、用意しておきます。秋田、新潟、灘の銘酒も。 

 

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石神井公園 照姫まつり

四月九日の、こいしノート「石神井川の桜見 ご招待」での、石神井公園のボート池は 

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ご覧のとおり、鵜が一羽、日向ぼっこをしているばかり。ですが、四月二十三日、日曜の今日は人、人、人で、まっすぐ歩けないほどです。理由は 

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練馬区主催の、このまつりがあるからです。(写真は昨年の演技者です)

区報によれば、三年前の来場者は約十二万八千人、その年の区民は約七十一万一千人だったそうです とすると、区民の十八パーセントが来たことになります。多少 眉唾のような気がしますが。

 「照姫まつり」は、地元に伝わる室町時代石神井城主、豊島泰経(としまやすつね)と娘の照姫が、太田道灌(おおたどうかん)に攻められ、三宝寺池に入水したとの伝説に基づいています。

 

ミーハー(ミーちゃん、ハーちゃん)だった、こいし、若い頃、二度ほど見に行きました。最初は第二回目で奥方役の「女優の松原智恵子」さんと、NHKの朝ドラ「おしん」の名子役「小林綾子」さんの照姫を、どうしても見たくて。

二回目は、幼い子から、爺ちゃん婆ちゃんにまで愛された「九重祐三子」さん、愛くるしい顔は今でも、はっきり憶えています。

ちなみに第一回の奥方役は「中原ひとみ」さんで、第三回は「入江若葉」さんだったそうです。現在は区民の中から、オーディションで選ばれています。

どうして今年、行きたくなったのか、ですって? それは筋向いに住む奥様が、奥方役になったから、それでです。

 

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右端と正面の方です、綺麗な方でしょう。

 

他にも催しが、ありました。江戸時代、練馬は鷹場だったそうで 

日本鷹匠協会が「放鷹術」を披露してくれました

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(低く飛ぶのは外的から逃れるためだそうです)

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(無事 鷹匠の手に)

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(ハプニング 野球場のネットへ)

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(女性鷹匠さんです 鷹匠になるには難しい試験があるそうです)

 

西洋流火術鉄砲隊保存会は「鉄砲隊」演舞です

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 音と煙だけです

 

催し物は他にも多くあったのですが

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このチケットの開演時間が迫っていましたので、催し物は来春の楽しみ

にとっておき、賑わう公園を後に、急ぎ石神井駅へ そうしましたら 

ここでも 

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大勢の観客を前に 可愛い子たちが熱演していました その後は 

おばあさんたちでした なので写真は遠慮しました

 

疲れましたが 楽しく充実した日曜でした 毎日がこうなら

嬉しい、こいしです 

 

 

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別れのシーン 上野駅で 

 

五十歳代に出向していた会社の同僚二十四人と、上野公園内にある料亭で、久し振りに旧交を温めた。

二階の宴席には大窓があり、その左側を覆う桜の花びらが、吹く小さな風で舞う。眼下の向こうには、夏にはさぞ見事だろう「不忍池」の蓮。しかし、呑み助どもは花は花でも、昔の話に花を咲かせるばかり。

「来年もな!」

「きっとだぜ!」

「それまで元気で、頼むよ」

と、別れの挨拶をしても、気の合った連中は三三五五(さんさんごご)二次会へ。こいしもそうで、元社長、現社長と昔なじみの神田駅近くのバーへ向かった。そのさい、上野駅の新幹線改札口付近で、若い二人が口づけをしているのを目にした。

 

土曜の夜のバーには誰一人いない。カウンターに肘をつき、暇そうだったマスターは狂喜して、いつの間にか客になっている。

あの頃、この頃の話題が一段落すると元社長が

「なあ、マスター、ここに来る時、上野駅のコンコースで、若いのがキスしてたんだ。人目なんか何処吹く風、大っぴらにだ。嘆かわしいったらありゃしない、世も末だよ」

酔いもあってか、手厳しい。

すると、現社長が

「大家族に育てられた子供は、小さい時から、恥ずかしさを教わって、それをつかさどる脳が発達するのですけれど、今は核家族ですから、そういった人たちが出るんですよ。ねえ、こいし先輩、そうでしょう?」

小難しい問いに答えられないでいると、マスターが引き取った。

「僕は、そんなの関係なく、見られている方が興奮する、ただそれだけだと思います」

「そうかなあ。だったら、マスターやってみてよ。そして感想、聞かせてよ」

I氏、発破を掛ける。

「良いけど、相手がいないな。しわ首の女房じゃ、万人から見つめられたって、興奮しないもの。ねえ、社長! お宅の若い娘(こ)紹介してよ。ぽっちゃりした娘」

カウンターの向こうで、痩身の美人ママが、睨み顔で微笑んでいる。

 

 飲み疲れ、山手線の吊革に身をゆだねていた、こいし、上野駅を過ぎた時、あの二人を、ふと思い出した。するとすぐ、映画「哀愁」の名シーンが、頭を過ぎった。

 

「クローニン大尉は空襲警報鳴り続けるウォータール橋で踊り子のマイラと偶然出会った。そして惹かれあった。しかし、明日は再び戦線へ赴くクローニン。その夜、キャンドルクラブにマイラを誘った。

間もなくの閉店を告げる「蛍の光(※オールド・ランク・サイン)」の演奏が始まり、そのうち楽士が一つ一つキャンドルを消していく。戦場では死もありえる、それを思い、危惧の念を抱いた二人はダンスの足を止め、口づけを交わす」

 

社長が「世も末」と嘆いた、その二人の身形はきちんとしていた。足下には大きな旅行鞄があった。

四月は転勤シーズン。男性が何処(いずこ)かに転勤? いや、相違ない。予約した新幹線の発車時間はもうぎりぎり。明日から暫らく逢えない、その気持ちを抑えられず・・・・・・哀愁の名シーンと重なる。

 

今度、元社長に会ったら、二人を弁護しよう。恐らく、昔の口調でこう言うだろうが。

「君は若い者を見る目が甘い! だから、君の部下は育たなかったのだ」

 

 

[付録] 

 三月十八日の「私 ミモザ 来春も見てね」の付録「双子のシンビジューム」の

ねえね(お姉ちゃん) やっとお眠むから覚めました(後方)

道行くご婦人が「まあ エレガンスだこと」 他の人もそれに似た 言葉を掛

けてくれました ばあば(お婆ちゃん)になってもこうであって欲しいです

手作りの額にあるのは 生花のハンギング

 

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石神井川の桜見 ご招待

今回は稚拙なエッセイは止めにして、石神井川沿いの桜を紹介します。出発点は隅田川より10、3kmほど上流の「高稲荷橋」、到着点は「石神井公園ボート池」です。

ちなみに桜の本数(左岸)は、数え違いがなければ273本です(ただし 高稲荷橋から、中の橋までの77本は右岸)

 (1)高稲荷橋での桜

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  水面に影が映っています

 

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高稲荷神社            神社の下の公園の屋台 香ばしい匂いが漂います

 

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数十メートル上流の花筏(はないかだ)です

 

(2)大橋での桜(下流に向かっての写真)

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側にある「中央大学」の旧陸上競技場です 

東京オリンピックで銅メダルに輝いた「円谷幸吉

選手も ここで練習していたのでしょう 

 

(3)中の橋での桜 

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 これより先は行けません 有料の遊園地「としまえん」ですので

橋の向こうが「としまえん

 

(4)石川橋での桜

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としまえん」の西側です 桜並木は護岸工事で伐採され 竣工後に植えた桜で、若木だからでしょうか まだ咲いていません 

北に少し入った所に神社と寺が同一敷地内に仲良く存在しています 明治時代の「廃仏きしゃく」をどう、免れたのでしょう? 不思議に思います 

 

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 神社               お寺

 

 (5)上新田橋での桜

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 沿道唯一の「山桜」が白い花をつけています(手前)

 右に少し行った所に巨大なガスタンクがあります 今でしたら 住民反対運動で建たなかったでしょうね

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(6)こぶしはしからの側道(右下に石神井川

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ここだけが 綺麗なカラー舗装でした 

 

(7)薬師堂橋での桜 

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(8)平成みあい橋での桜

水面より少し高い地点に散歩道があります そこから見上げて桜を撮りましたf:id:sebuchi:20170409112200j:plain

 ここでの見合いなら、上手くいくのでしょうか? そうであって欲しいですけれど 

 

(9)終着点 石神井公園ボート池に着きました 

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いつもは賑わっているのですが 人影がありません 花見に皆 行ってしまったのでしょうか?

 

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寄り道

お彼岸に入りましたので、祖先が眠る雑司ケ谷霊園へ向かいました。今日は雲一つない良い天気です。なので久しぶりに、その界隈をゆっくり見て歩き、それからにしました。

 

先ず最初は、太平洋戦争の指導者と言われる人 が拘置されていた「巣鴨プリズム」の跡地です。あったその頃は陰雲のイメージだったと聞きますが、今は一片もなく、家族や恋人、若人等が楽しむ施設もある「池袋サンシャイン60」になっています、時の流れでしょう。

 

中央通り(※グリーン道り)には、昔、「ジャズ喫茶D」がありました。当時のこいし(私)ミーハーで、テレビで見る、売れっ子の歌やトークを聴きに、親には内緒、学校には見つからないように私服で、よく通いました、高2の三学期の頃でした。

その場所も、もうなく、ありふれた商業ビルになっています。これもまた、時の流れでしょう。

 

道路を横切り、少し進むと「日蓮宗・本立寺」が右に見えます。喧騒街の唯一の静寂な場所です。境内にはベンチもあり、夫婦かな? 茶飲み友達かな? 老いた男女が親密に話しています。

それは見ぬ振りして、参詣しようと本堂の前まで行ったのですが、賽銭箱が見当たりません。「どうして?」疑問が解けぬまま、山門を離れました。

 

鬼子母神」にも寄りました。そこで初めて知ったのは「鬼子母神」の鬼の第一画目の「点」が、ないことにです。

(※コンピュータの機能では表示できませんので、下段の写真を見て下さい)

そばにいた、学者風の中年の人に疑問を問いますと「鬼子母神釈尊に諭されて改心したので、角が外れた」と、得意げに答えました。ですがこれだけでは消化不良、帰宅後、ホームページを見てみました。

 

「その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉人の娘で、嫁して多くの子を産みました。

しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。

 お釈迦様は、その過ちから帝母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまいました。その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は『千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん』と戒めました。

 そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育ての神になることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています」

 

 やっと目的地の霊園に着きました。ここには著名人の多くが眠っています。

(※下段の写真を見て下さい)

こいしの祖父母や両親も? とんでもない、偉人を輩出するような家系では、毛頭ありません。

 祖先に言葉を掛け、来た道を戻るさい、新しい墓石が目に入りました。何げなく墓誌を見ますと、長い人生を送ってきて、この人の他には聞いたことのない、珍しい女性の名が刻まれていました、姓は違っていましたが。

 

 高3の秋の頃、通学するバスの中で都立高校(※こいしは私立男子校)に通っている、墓誌に載るその人と知り合い、何度か「石神井公園」でバスを降り、ボートに乗ったり、ベンチで語らい合いました、時には、一番星が輝くまでも。

「卒業しても、逢おうね」と、約束したのですが、それっきりになりました。

「今はどうしているかなあ? 逢ってみたいなあ」

時には思ったりもしていました。

 

何時かは、こいし、ここに埋骨されます。そうなった時「彼女の墓までトンネルを掘り、逢いに行こう」

帰路、そのような夢物語が頭を過ぎりました。灰になっても、恋の煩悩を捨て切れない、こいしのようです。

 

鬼子母神) 

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 鬼の点がないの お分かりですか?

 

 

 (本立寺)

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賽銭箱 ないでしょう  手前にベンチが二つあります

 

( 雑司ケ谷霊園に眠る著名人)

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 (霊園の案内図より)  

 

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すぎたるは なお およばざるがごとし

健康であるには一日、八千歩のウォーキングだと専門家は言う。こいし(私)これを信じ、家から四方向に決め、朝夕、実行していた。

しかし、四日ごと見る風景に飽きあきし、それでは? を考え、来年(※平成28年)の新年を期して、都営地下鉄線の四路線の地上部を歩くことにした。そして実行、大江戸線から始め、三田線新宿線、浅草線を踏破した。(※詳細は下段の図を見てください)

 この歩数に日常生活のも加えると、四月末までに1,071,938歩となり、歩幅を30センチと見積るなら、およそ322キロ、歩いたことになる。(※一日平均、約9,000歩)

それからも、バスや私鉄沿線を歩き、紅、黄葉の季節には奥武蔵の山々に登った。

 

二月の初旬(※今年)足の付け根に痛みを感じたが、一過性だと思い、ほっぽっていた。しかし、日毎、緩やかだが増してくる。

昨年の暮れ、京都に住む画家から「アトリエに来ない? 面白い物がいっぱいあるんだ」と、誘われていた。新幹線もホテルも予約済みだったので、不安ではあったが向かい、もう最後になるだろう、仏野念仏寺(あだしのねんぶつじ)の水子地蔵にも逢ってきた。(※3月3日のブログ「おかあさん、なかないで」)

その頃は、もう痛くて痛くて、破行状態であった。

 

湿布薬を貼って、一週間、様子を見たが、一向に良くならない。そこで、渋々、総合病院の整形外科を訪問した。

「どうしました?」と医師。

「足の付け根が痛いのです」と、こいし。

「そうですか、それではレントゲンで、見てみましょう」

(※一時間後)

「レントゲンでは股関節に異常ないですね。何か運動していますか?」

「一日、八千歩、歩いています」

「いつからですか?」

「三年にほどになります」

「それが原因かもしれません。炎症による腫れや痛みを和らげる薬を処方しますので、二週間飲んでください。それでも痛いようでしたら、精密検査しましょう」

 

こいしは三年前に「僧帽弁及び三尖弁閉鎖不全症」の手術を受け、その後、六種類の薬を朝食後に服用している。それに加えて二種類が加わった。それを多目の水で飲むと、お腹がいっぱいになる。でも、朝食は事前に取る。

「何でですかって?」

その答えを、三十年も笑わせてもらっている「何でもフラメンコ」的に言うなら

「お腹がいっぱいなのにぃ、朝ごはんを食べるぅ・・・・・・なあーんでか、なあーんでか、それはね、薬を飲むため・・・・・・オーレイ」

 

 

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日数と駅間です,クリックすると拡大されます 歩いた駅が少ないのは、迷ったからです

 

 

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