指きりしたのに
私は昨年の秋「あんポンたん」というタイトルで二部作を書き上げました。第一部は思い出の人を綴ったエッセイで、第二部はエッセイの中で登場し、既に極楽浄土の住民になった人達が、もう来るだろう私の歓迎会を催すという、ユーモア小説です。
本日は、そのエッセイの中から「指きりしたのに」を載せます。ご笑読いただければ、幸いです。
「指きりしたのに」
雨戸の隙間から朝日が射す。寝巻きを正して開けると雲一つなく、旧家のいちょうが見事に色づいている。それを目にして、一年先輩の綾歌さんも含めて、大学のサークル仲間と紅葉狩りに行ったことを思い出した。
綾歌さんは宮崎の人で、素封家の娘だけを対象とする、寮に入っていた。そうであっても、ひけらかすことなく、誰にも優しく、そして美形なので、サークルの男連中は恋心を抱き、見るも哀れなほど献身していた。
私? 私ももちろん抱いたが、アタック競争には参戦しなかった。成績も育ちも悪いし、ずんぐりむっくりでは一回戦でコールド負けし、本人からも、サークル全員からも、嘲笑されるのが落ちなので。であっても、一縷の望みを持ち、繊細な神経で接していた。
卒業旅行はグループでが多いが、それだと制約があり、それが嫌で独り旅を企画した。そのことが卒業後、故郷へ帰り、高校の化学の教師になっていた、綾歌さんの耳に入った。それにより、天にも地にも掛け替えのない、速達が届いた。
「学生時代、愛情をもって、おつきあいしたつもりですが、九州旅行を知らせてくれないなんて、悲しいわ。ですけれど知ったからには、風光明媚な日南海岸を車で案内します、嫌でもですよ。
それと、天孫降臨神話にまつわる名所旧跡が多い、高千穂も案内します。天然記念物の渓谷も見ものです。
父にそのことを話しましたら、竹田市の、叔父さんの家に泊まったら良い。そうなら、安心だと言いました。何が心配なのでしょう、 貴方、分かりますか?
それはそれとしまして、父が『荒城の月』ゆかりの岡城跡も見学コースに入れたら良い、きっと喜ぶよ、とも言いました。
高校時代は男子の名前を口にするだけで不機嫌になる父でしたのに・・・・・・。大学時代、帰郷するたびに、貴方のことを褒めていたからかしら。ともあれ、貴方に好意的なことは、とても嬉しいことです。
私は一学年といえども、先輩です。何ごとも私に逆らうことは許されません。旅行計画に高千穂行きの一泊を加えなさい。
学校は春休み中なので、いつの日でも空いています。二人だけの思い出を、ぜひ作りましょう」
明朝から二日間、綾歌さんを独占できる。その高揚で、夜汽車の灯が落ちても眠れなかった。そこでポケットウィスキー。ところがそれが悔やむ結果をもたらした。
宿泊代を倹約しようと夜汽車の連続、その疲れもあってか、ウイスキーで熟睡し、待ち合わせ駅を寝過ごしたのである。
乗車している急行列車が、次に止まる駅までは三十分。ユーターンする列車の到着は四十分後、そしてまた、三十分。やきもきしながらの一時間四十分、やっと綾歌さんに逢えた。
綾歌さん、私を見るなり
「午後は会議なので、午前中だけでも市内を案内するって、父が待ってたの。でももう、時間がないって、会社に行ってしまったの・・・・・・貴方を見て欲しかった・・・・・・私」
残念、悲しい、恨めしい、それが入りまじった表情で言った。
日南海岸をドライブし、そのまま竹田市へ行き、叔父さんと叔母さんに歓迎され、地元家庭料理を口にして、あきれられない程度に地酒を味わった。
翌日、城跡を見学した後、高千穂で遊び、一泊二日の二人だけの旅は、あっという間に終わった。後ろ髪を引かれる思いで別れの駅まで来ると、プラットホームで見送ると言う、綾歌さんが
「六月の終わりに横浜で、友達の結婚式があるの。その時、逢って」
と、せがんだ。
就職する会社には全国に支店や営業所があり、勤務地をまだ知らされていない今は「必ず」は無理だと答えた。すると
「嫌よ、そんなの。それなら、結婚式は出たことにして、赴任先へ行くもん。父や母に嘘つくのは辛いけど、絶対にそうする。その時は逢ってね、約束よ」
と言い、指切りを強いた。
ところが、六月半ばを過ぎても、連絡がなかった。そこで、その理由を問う手紙を送った。
二週間後、暑中見舞が届いた。
「幼い従弟たちとセミ取りをしています 網で押さえることのみが面白いので その後 すぐに逃がします だってセミは七日間しか生きられないでしょう お元気で お元気で いつまでも いつまでも」
これでは、真意がつかめない。そこで、残暑見舞いで再び問うた。だが梨の礫だった。翌年の年賀状も来なかった。
「時間を守れない、それも酒を飲んで寝過ごして。そんな男は見込みなし」
綾歌さんの父の声が聞こえる。
今回は、もてたようなエッセイでしたが、次回はその反対で、大恥をかいた話です。お暇でしたら、お立ち寄りください。
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