こいしノート

エッセイ読むのも書くのも大好き人間です、小説も。 

さしみの妻はいや

前回のお約束どおり、今回は持てなかった話で、このエッセイも、ユーモア小説「あんポンたん」からです。

 

さしみのつまは嫌

 

大学に入っての初授業は和文英訳だった。他校から来ていた講師は、自己紹介することなく、哲学的な長文を黒板に書き、入学年度と出席番号が同じ、ただそれだけの理由で、私に訳を指名した。

無い頭をフルに使い、やっと終えて席に戻ると、腕を組んで眺めていた講師が

「よくまあ、これで入学できたものだ」

軽蔑しきった口調で言った。するとすぐ

「よくまあこれで入学させたものだ」

と、私の列の後方から、講師そっくりな口調で、誰かが揶揄した。

てっきり、私と思った講師は

「出来ねえくせに、ふざけるな? お前なんぞ、教えたかねえ! 出てけ!」

怒鳴るように言い、ドアを手荒く開けた。

これはまさに濡れぎぬである。抗弁を考えたが、この興奮状態では、火に油を注ぐだけ、ほとぼりが醒めた頃にと決め、教室を後にした。

とは言え、教室が気になり、ドア越しに耳をそばだていた。そうしていると、後方のドアから、そっと出てきた、長崎壱岐夫と名乗る男が、九十度に身体を曲げて謝った。

「犯人は俺なんだ。本当に申しわけない。責任とって、この授業を捨てる。これで勘弁してくれ」

 

必須科目の単位が取れなければ、卒業できない。それが嫌なら、追試で合格するほかない。それには追試料が課せられる。

年間を通して授業に出ていれば、試験の点数がよほどでないかぎり、単位は貰える。しかし、追試にはそういった温情はないし、満点取っても最低の「可」だと言われている。それは、就職試験の学内選考にとても不利。それらを承知で捨てるとは、見上げた男。私は学校脇にある喫茶店に誘い、友達宣言をした。そして私も授業を放棄することにした。

 

三年生になるとゼミがある。その授業中、壱岐夫が窓越しに私を手招く。そっと抜け出し、用件を聞くと

「今から天城山縦走に行きたいんだけど、一人じゃ、不安なんだ。一緒に行ってよ、費用は俺が出すから」

と、片手で私を拝んだ。

思いがけない言葉に疑問を持ち、今からの必然性と理由を問うた。すると

「君のゼミ、先生が熱心で、いつ終わるか分からない。こないだなんか、十一時までだったそうじゃないか。今日もそうだと、明日中に縦走できないよ。だから早めに行って、宿屋を確保したいんだ。それと理由は、気分転換だと思ってくれ」

 

五月の連休前、壱岐夫は「俺に惚れた女が上京する」と、自慢げに言っていた。

「ははーん、振られたな、で、その気分転換なんだな。俺にもその経験、何度もある」

自分の時を思い出し、母の急病を理由にゼミ室を後にした。

 

万二郎岳から万三郎岳に向うと、山々や諸島が一望できる岩場に出る。その風景に見とれていると、後から来た女性二人が、微笑み会釈した。たちまち壱岐夫の目が輝いた。

二人は大手銀行の静岡支店の行員で、ぽっちゃり形は駿河浜子、色白で痩身は藤枝静江と言い、静江は夜間大学生でもあった。

壱岐夫が同行を求めると、二人は嬉しそうにうなずいた。それにより、万三郎岳、天城トンネル、浄蓮の滝を楽しく巡り、そして別れの三島駅に着くと酒処の暖簾をくぐり、偶然の出会いに乾杯し、再会を約束した。

 

一週間経ったころ、壱岐夫が喫茶店に私を呼び出し「気分悪くするなよ」と前置きし、浜子と静江からの手紙を差し出した。

浜子の内容は、おおよそこうだった。

「貴方が好きになったの、仕事が手につかないほどよ。(中略)再会場所は大瀬崎海岸に決めました。富士山を眺めながら、泳ぐのはとても素敵だわ。

その日の夜は、貴方と二人だけでいたい。どうすれば、できるかしら。静江が彼氏(私のこと)に恋してくれれば問題ないのだけど。でも、残念なことに、静江、面食いなの・・・(後略)」

 

 私は、浜子には興味がないので、何を言われようと気にしないが、静江は別である。愛とか恋の一文字を願って、手に取った。

 

 静江の内容は、おおよそこうだった。

「家庭は妻が主人公、妻の喜びを励みに夫は働く、それが理想と壱岐夫さんは、おっしゃいました。そのように考える貴方に、私、好意を強く持ちました。(中略)

浜子が真剣な眼差しで、貴方に恋したと言いました。浜子は私の親友です。ですが、貴方は譲れません、絶対に。

大瀬海岸で再会した折り、どうか私をしっかり見ていただき、私を好きになってください。そしてそれを愛に、更に恋に発展させてください」

続く文章には、生い立ち、家庭環境、兄弟の状況、夜間大学の苦労話、そして将来は弁護士になりたいとも書いてあり、私に関しては、まったくなかった。

壱岐夫は海水浴を、しつこく誘うが、さしみの妻は嫌、即座に断わった。

 

二学期になって実家から上京した壱岐夫は、その日に私を喫茶店に呼び、おもむろに大瀬海岸でのスナップ写真を、差し出した。いずれも壱岐夫と浜子、静江とのツーショットだった。

「面白くねえ、なんだ、このにやけた面!」と心の中で言いつつ「楽しかったみたいだね。写真にそう写ってるよ」

と、裏腹な言葉を口にした。すると気を良くした壱岐夫は、二人の水着姿の大きなカラー写真を、テーブルに並べ

「見てみ、浜子、グラマーだろう。静江も負けてないよな」

二人の写真の身体をなでながら言った後

「十月になったら、河童橋大正池へ行くことになったんだ。泊まる温泉宿は、静(静江)ちゃんが探すんだ。

俺一人では、二人の面倒見切れないので、君は浜子の面倒見てよ。浜子は純真で可愛いい人だよ。これを機会に、つきあったら? 俺がうまく取りなすから」

冗談ではない、浜子なんか、真っ平だ。河童橋なんか、死んだって行くものか、即座に断った。

その後の壱岐夫と静江の関係は、そうとう熱くなったが、八年後、壱岐夫の結婚式に呼ばれた時、白いドレスを着ていた人は、会社の上司の娘さんだった。

青春なんて、こんなものでしょう。

 

 

次回も「あんポンたん」の中からのエッセイで、純真な若い女性と女学生との出会いです。どうぞ、遊びに来てください。

  

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