三宝寺の伝説と今
東京で三番目に古い遊園地「としまえん」から、川沿いを西へ向かうと、四十分ほどで石神井公園へ出る。そこには二つの池があって、名称は「三宝寺池」と「石神井池」と言う。
三宝寺池には史実と異なるが、こんな言い伝えがある。
「1477年(文明9年)の四月、石神井城主の豊島泰経は、江戸城主・大田道灌と、現在の中野区江古田付近で合戦した。だが代償多くして敗れ、城へ逃げ帰った。
しかし、道灌は追撃した。泰経は必死に防戦するも、落城色濃くなり、敵兵が見つめる中、三宝寺池へ身を投じた。
泰経の次女・見目麗しい照姫は悲嘆にくれ、泰経の後を追い、やはりこの池に身を投じた」
三宝池は、昭和三十年頃までは湧き水が多く、澄んでいたが、住宅化の波が押し寄せたことにより、水道(みずみち)が断たれ、今はその光景が見られない。
そうではあるが、水生植物の宝庫で、国指定の天然記念物「三宝寺池沼沢植物群落」があり、すぐ側には、ボランティアが毎週水曜日に手入れする「水辺観察園」がある。
また、池の周囲には絵を描く人、写真を撮る人、無駄口を叩きながら、将棋を指す人、さらに文庫本を読み耽る人たちが、ゆったりした時を過ごしている。
小さな道路を横切ると、三宝寺池からの水路をせき止めて作った石神井池になる。
休日には家族連れや、若いカップルがボートで遊び、水辺では釣り好きが、のんびり日長(ひなが)、竿を垂らしている。
南側には観覧席もあるステージがあり、多くに人が利用をしているとのこと。広場もあり、昔ここで中学仲間とハンカチ落としで遊んだことがある。女生徒に好かれない、こいし(私)には誰も落とさない、ちょっぴり悲しい記憶がよみがえる。
これからは宣伝になります。
この公園は都内の二十三区とは思えないほど緑多く、風光明媚で、歴史ある良き場所です。近くに来られたさいは、ぜひ、寄ってください。 きっと、誰かさんとまた来たくなりますよ。
ちなみに場所は、西武池袋線「石神井公園駅」下車、徒歩十分ほどです。
三宝寺池です 水鳥が波紋を広げています
水辺観察園です
石神井池です 手前の樹は柳と桜 春はとても綺麗ですよ
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