こいしノート

エッセイ読むのも書くのも大好き人間です、小説も。 

目白通りでは危ないよ

関越道に向かう大型車両も多い「目白通り」を横断しようとする、幼児とその祖母と思われる人が、ヨーイ・ドンの態勢を取っていた。そして、信号が黄色から青に変わると、全速力でこっちへ向かってきた。競争だったのだろう、この危険な光景を目にして、遠い昔を思い出した。

 

戦後十年、景気は上向いていたが、ピアノのレッスンを個人で受ける子は稀であった。であっても、T子は週三回、電車とバスを乗り継ぎ、一時間かけて通っていた。

五年生のクリスマスの日、百貨店のホールで催された演奏会へ、クラス仲間と聴きに行き、白のちょうちんブラウス姿で一心にピアノに向かう、T子にある種の感情を抱いた。

六年生になって、席が隣り合わせになり、それが、もっとになった。だが、それも束の間、八重桜の花が舞う頃、転校したのである。

ところが不思議、二級下の弟は登校していた。その疑問を担任に問うと「反対したのよ、だけど・・・・・・」ただそれだけを、美顔を曇らせ言った。

 

日本脳炎が猛威を振るった夏が過ぎ、二学期が始まった日、担任がT子から来た手紙の、おおよそを話した。

「転校して二ヶ月経つが、友達がいない。元の学校が恋しく、母に戻りたいと頼んだ。でも、駄目と怒られた。それでもと逆らったら、叩かれた。皆に会いたい、どうかクラス会に呼んで。先生からも頼んで」

 

児童委員長の美代子は、クラス会について全員の意見をまとめ、翌々日、T子の母を訪問し、告げた。その時のことを美代子が夕刻、電話してきた。

「Tちゃん、死んじゃったの、トラックに撥ねられて。Tちゃん、転校してから毎日、塾へ通って、それと週三回、家庭教師に来てもらっていたの。

撥ねられた日は家庭教師の日だったの。だけど塾のお勉強が長引いてね、それで帰りを急いでてね、交差点の信号が青になってすぐ道路へ出たの。その時、トラックの運転手が急ブレーキ掛けたけど、間に合わなかった。

Tちゃんのこと、先生に話したら、あの時、もっと反対していればって泣いていた。

反対って、なあにって聞いたら、こうなのよ。

Tちゃんのお母さん、Tちゃんを自分の出た、大学の付属中学に入れたかったけど、今の学校は程度が低すぎて、このままでは合格しない、そう思って、それで親戚の家に寄留させて、程度が高い小学校と進学率が抜群な塾へ通わせたの。

Tちゃんのお母さんが、転校の話しで学校へ来た時、先生、こう言って反対したの。

T子さんは優秀だから、転校しなくても大丈夫。心配なら、自分(先生)が放課後、責任もって受験指導するって言って。

たけど、お母さん、納得しなかった。

Tちゃんが、クラス会に出たいって書いた、先生への手紙、その日付、死んだ日だった。可哀そう、可哀そうだわ・・・・・・」

 

しっかり者で、何があっても涙しない美代子が、電話の奥で嗚咽していた。

 

 

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幼児と祖母が競争した横断歩道(手前) 向こうは四差路の交差点

 

 

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