また お逢いできる日を楽しみに
熱い日が続いておりますが、皆様 いかがお過ごしですか? お伺いいたします
「こいしノート」一年と二ヶ月続けましたが 少々 疲れました それなので 暫く
休養することにしました 長らくのご愛読 ありがとうございました
稚拙な文に クリックをして頂いたことにも感謝しています
抽象書、あなたはどう見ます?
こいしは多趣味なので「何でも見てやろう」がモットーです。しかし、書道は縁遠く、ところが、ここ数年、興味を持つようになり、切っ掛けは、こうです。
一昨年、東京都美術館に、知人とその仲間が催す、写真展に行き、ちょうどその時,
「産経国際書展」も催されていて、ちょっと覗こう、軽い気持ちで入場しました。すると、えも言われぬ筆さばきに、こいし、驚嘆しました。
いくつかのコーナーを廻ると近所に住む、K子さんの作品がありました。常務理事という肩書きでです。
一週間ほど経った頃でしたか、豊島園駅(※西武池袋線)近くの小踏み切りで、K子さんとばったり会いました。そこで
「都の美術館で、貴女の作品、見ましたよ。常務理事ですってね、巧(うま)いから、選ばれたの?」
「違う、違う、歳の順なの。お婆さんになったということだわ。書展は毎年あるのよ、恒例なの」
「そう、 じゃあ、来年もぜひ行こう」
「あらっ、嬉しい。DM(案内状)が出来たら、送るわね」
現在は、ざっくばらんですが、その昔は、こうでした。
高校生だった、K子さん、こいし(※こいしも高校生)の家の前の小道を通学路にしていました。男子校の、こいし、すらりとしていて、色白なK子さんと友達になりたいな、そう、思っていました。
しかし、こいしに言い寄られたなどと、K子さんが両親(※K子さんの)に告げでもしたら、それが嫌で、何処であっても知らん顔で通しました。
話が横道に逸れました、戻します。
今年の国際書展にも、素晴らしいの一言に尽きる作品が目白押し、多くは和歌や詩歌ですが、抽象的なのも、ちらほら。
以前、抽象画を得意とする女流画家に
「この絵、どう見れば良いの?」
失礼な質問をしたことがあります。すると怒りもせず、こう言いました。
「自分なりに想像すれば、それで良いのよ」
今回の書展にも、そういった作品が数点、ありました。ご覧になって、自分なりに想像してみてください。
「下手っピーな写真じゃ無理? まあ、そうおっしゃらずに」
(ちなみに K子さんの作品 )
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尊敬する もう一人 植村直己 さん
前回のエッセイ、「こいしノート」では、尊敬する二人の一人、オペラの大衆化に尽力する、岡村喬生さんを記しました。
今回は、もう一人の植村直己さんです。その根拠は世界初の五大陸最高峰征服や、犬ぞりでの北極点単独行(※人類史上初)及び、グリーンランド縦断です。
薫風が快いある日、植村さんの墓参を思い立ち「乗蓮寺(※板橋区)」へ、何年ぶりかで行きました。
(※5月9日の「こいしノート」)
合掌後、墓石に刻まれた「草野心平」の詩を黙読していると、老いた掃除夫が声を掛けてきました。
「蓮根駅(※都営三田線)のすぐ側に『植村冒険館』があるよ。フアンだったら、一度行ってみたら?」と、得意げに。
その時は明日にでも、そう思ったのですが、つい実現しないままでした。そんなある日、「植村直己単独行、冒険精神の原点をみつめる」と、書かれた写真入りのパンフレットを目にし「これは良い機会だ」そう考え、翌々日、訪問しました。
瀟洒(しょうしゃ)な建物の二階が会場で、犬ぞり演出(※実物大の犬ぞり)と、北極点到達時の実物大写真、北極点単独行・グリーンランド縦断時に使用した装備、外国放浪時代、五大陸最高峰登頂したさいの写真や資料が展示されていて、またセットされたDVDから、犬ぞり冒険とマッキンリー(※現・デナリ)登頂などが映し出されています。
これからは、DVDを見ての話です。
植村さんは「十分な計画と準備がなければ登頂や冒険は成功しない、生きて戻るのが前提」と語ります。そして、独身の頃は「女房がいたら、山には登れない」と、仲間に話します。ところが結婚すると「帰る場所はやっぱり女房のもとに」と、なります。
ですが、1984年の厳冬期「マッキンリー」に単独登頂成功後・・・・・・荒天がとても憎いです。
植村さんの、犬に対しての愛情に感動します。
そりを引き、一日、何十kmも走る犬たちは、氷の凹凸(おうとつ)で、足の裏の皮が擦り切れ、血を流します。植村さんは貴重な自分の衣服を犠牲にし、凍える手で犬のソックスを時間をかけて縫います。愛情をこめての一針一針、こいし、涙です。
以前、何かの情報で知った、犬ぞりのリーダー「アンナ」の話も感動です。
北極圏を求めて単独行中、氷の薄い場所にぶつかると、犬たちは植村さんの指示を無視し、それどころか、一瞬のすきに逃亡、アンナもです。
その現実に植村さん、人里へ向かうことに決め、歩き始めたその時、アンナが駆け足で戻ってきました、五匹の犬を引き連れて。アンナは連れ戻しに五匹を追ったのです。
この話を知った時、こいし、思いました。
アンナ、本当に犬なの? 人間の化身?
そのアンナは、旭山動物園で生涯を終えました。
年末恒例の「NHK紅白歌合戦(※昭和39年)」の審査員になった植村さん、アナウンサーのインタビューに応じる、ちょっと照れた人懐っこい笑顔、今でも鮮明な、こいしです。
特別展 パンフレット
冒険館 展示品
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尊敬する お二人 一人はオペラ歌手の岡村喬生さん
「こいしノート」が50回になりました。飽きっぽいのに、よくぞ続いた、我ながら感心しています。
「それは褒めますけど、拙文にクリックお願いだなんて、身の程知らずだぞ!」
「そう、おっしゃらないで、お願い!」
何方(どなた)でも、尊敬する人がいるでしょう。こいしもですが、特にと言えば二人です。一人はオペラ歌手の岡村喬生さんです、何故かは、こうです。
こいし、かれこれ四十年ほど前、知人の娘の誕生日に招待され、お祝いに童謡集のレコードを持って行きました。
四本のローソクを消した後、電蓄(※電気蓄音機)にレコードを乗せ耳を澄ますと、何人かの幼く可愛い声の歌の後「汽車ポッポ」になりました。歌うのは岡村さん、バリトンの、その声量に強いインパクトを持ちました。
初めて肉声を耳にしたのは、東京文化会館での「冬の旅(※シューベルト)」、2011年4月でした。
その感動を再びと半年後「グレーミン公(※オネーギンより)」他五曲のオペラ、それからカンツォーネや日本の歌の数々を、浜離宮朝日放送で聴き入りました。
その時だと記憶しますが「オペラの大衆化に尽力したい」と、岡村さん、口にしました。このことは入場料を低く抑え、オペラ文化を普及させ、その魅力を多くの人に知ってもらいたい、それを願って言葉だと、こいし、思いました。
岡村さんは翌年、モノオペラ「松とお秋」(※原作・山本周五郎、作曲・大中恩、脚本・演出・歌と口演、全九役、本人)を、誰でも手が届く2,000円で上演しました、満員でした。(※主催は岡村氏が主催する、特定非営利活動法人(NPO)
岡村さんは更なる、大衆化を企画します。歌曲を歌いたい素人(※ずぶも)に「誰でも歌えるようになる教室(※現在は「心を歌に乗せて歌う教室」)を開きました。
その教室は、岡村さんの他に一流の歌手三名と二名のピアニストが、生徒三十四人に個人指導します。ですが、レッスン料は考えられないほどの安さだそう。
岡村さん、気骨もあります。世界で上演される、オペラ「蝶々夫人」には、日本の文化に誤認があります。岡村さんは、イタリアで年一度開催される「プッチーニ音楽祭」で、それを正し、上演を決めました。
しかし、公演寸前に待ったが、かかったのです。でもどうしてもの気持ちが強く、それを群馬県前橋市と桐生市の二会場で上演しました。管弦楽は映画「ここに泉あり」の群馬交響楽団、指揮はイタリアで活躍中の「三ツ橋敬子さん」です。
オペラ公演には、莫大な費用がかかるそうで、一億、二億だそうです。ですが、岡村さんの「オペラの大衆化に尽力したい」この思いを貫き、入場料は考えられないほどの割安で、こいしの席は一階二十九列目で5,000円。料金の設定には、岡村さんの並々ならぬ、苦労があったと思われます。
岡村さんが言う「オペラの大衆化」、いつまでも続き、更なる発展を願う、こいしです。
初めて舞台で鑑賞しました 傘寿とは思えない 声量です
作曲は大中恩さん NHK ピンカートン シャープレスはイタリアを
「うたのおばさん」で歌わ 代表する歌手 蝶々さんはオーディション
れた 童謡「サツちゃん」は で選ばれた 岸 七美子さんと鈴木麻里子
大中さんの作品 さん
中高校生が鑑賞 オペラの魅力を感じたはず
こいし、二階の一番後列で鑑賞(桐生市での)
従って こいし、二日に渡って悲劇に涙 涙
生徒さんとても上手 プログラムを見ますと難曲ばかり
「ラ・ボエーム」より「ミミと呼ばれているの 私の名はルチア」
「カルメン」より「何が出てきたって怖くないわ」
「蝶々婦人」より「ある晴れた日に」
「アドリアーナ・ルクヴルール」より「私は神の卑しい下僕です」
「コジ・ファン・トゥッテ」より「岩のように動かず」
マスカー二作曲「アヴェ・マリア」等々
先生方の指導力が凄いのでしょうね この上達ぶりは
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スカシユリが咲いたら 思い出してね
流行り歌なら、小林旭の「熱き心に」、小説なら、渡部淳一の「化身」が発表された、昭和六十一年の猛暑日、生後一ヶ月の幼犬が家族の一員になりました。七月十日誕生なので、愛称は「ナナ」です。
父親は「ケンちゃん」。薄茶色のさえない、それも相当な雑種。母親は「メリーさん」。貴婦人のような名前ですが、白黒模様のやはり、相当な雑種です。
メリーの飼い主のN子さんは、ナナと一緒に生まれた茶色の犬が、ケンちゃんと似ているので父親だと信じています。ですが、逢瀬を見ていません。従って、ケンちゃんの飼い主に「責任取って」とは言えません。
仕方なしにN子さん、懸命に引き取り手を求め、そのかいあって、オスの三匹は探せました。ですが、残りは雑種のメス、誰もが首を横に振るばかり。
困り果てたN子さん、二匹を篭に入れ、やって来て、懇願しました。
「近所の好(よし)み、ハウスとセットで・・・・・・」
近所の好みはとても大切、引き取ることにして、改めて「どっち?」の目で見ました。
一匹は薄茶色で鼻が上を向いた、豚のよう。もう一匹は、こいしが小学一年の頃、家で飼っていた、ボーダーコリーにそっくり、なのでノスタルジーに駆られ、決めました。
ナナは芸を良くこなす賢い犬でした。半月も経たないうち「おて(手)」はもちろん、「ちんちん」、「おまわり」も、マスターしました。「おあずけ」は五分でも十分でもです。(※席を外すと、もうありませんけれど)
「どっちかな?」もします。それはこういった芸です。
両手のどちらかにビスケットを乗せ、それをナナに見せ「ぐう(※握る)」にして、背中の後ろへいったん隠します。再び前に出し「どっちかな?」と、手を交互に振ります。背中で移し変えない限り、ナナは当てます。そしてビスケットをゲット、その大げさな喜びに、誰もが微笑みます。
こいし、からかい好き、ビスケットを握る手を変えます。ナナは当然、間違えます。ビスケットは見せびらかすようにして、こいしの口へ。
恨めしそうな、その顔を見たさに二度目も同じようにします。ナナ、また、がっくり。ところが、三度目はこいしの両手に両手を、がばっと置きます。どうです、賢いでしょう。
「四度目はですって?」それは想像してください。
庭で放し飼いなので、外の空気も吸いたかろう、そうも考え、海や川、野や小山、ひばり鳴く田畑へと車に乗せて行きました。
楽しい思い出を数多く作ってくれたナナでしたが、十四年経った、平成十二年の春まだ浅い朝、悲しい別れになりました。
近年、犬用の墓地があるとのこと。お経を頼む人もいるという。マンション暮らしの人は生ゴミで、そんな話も耳にします。
「こいしは?」の、ご質問にお答えします。
離れたくないので、猫額の庭の中心部に埋葬しました。そして囲いの中に四季折々に咲く、花と低木を植えました。その中のスカシユリが、ナナの誕生日がもうすぐになると、決まって咲きます。
「ナナを忘れないでね。咲いたら、思い出してね」
と、代弁するかのように。
ナナの化身? 今年も咲きました 玄関に飾りました
メリーと一緒に 朝ごはん? お昼ねタイム
右の白黒が ナナ
生後 一ヶ月 右下はロン君 セントバーナードのように
大きくなったそう 両親のどっちかの血脈?
放し飼いの庭で 雨が降れば 駐車場
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酒は百薬の長といへ(え)ど・・・・・・
今年に入って左足の付け根に軽い痛みを感じた、三月になってもだ。そんなある日、京都に住む、旧知の画家が
「僕のアトリエに来ないか? 新作や、値切って買った掘り出し物、見てよ。そして、京都らしい雰囲気の店で飲もうよ」
と、誘惑の電話を寄こした。
甘い言葉に負けて訪問し、絵と収集品を見、その後、銀閣寺通りにある、老舗の料理屋で痛飲した。
「次は東京で」そう約束し、こいしはタクシーに乗り込んだ。そのおり、座席に着こうとした、その瞬間、前日までのとは違う、錐(きり)で刺されるような痛みを感じた。そしてそれは、一過性でなく、翌朝までもだった。
京都に行くなら、若き日に一人歩いた北嵯峨へも、と決めていたので、痛む足を引きずり、引きずり「化野の念仏寺」まで、どうにか来た。でももうそれが限界、「祇王寺」は止めにして、急ぎ帰京し、家近くの外科医を訪ねた。
医者はレントゲンの画像に指し棒で指し、こう言った。
「股関節は問題ありません。この腰椎と次ののとの間に、少し隙間があります、分かります? これが原因です。ラジオ体操でもして、筋肉をつければ治りますよ。緩和剤を四十日分出しますから、それで様子見ですね」
一週間ほど服用すると、痛みは治まった。しかし、薬でなのか、ラジオ体操の効果でなのか、判断できない。そこで薬を中断してみた。すると半日後、再び痛み。
ラジオ体操で股間の筋肉が、そう簡単に鍛えられるとは、とても思えない。それ以外の強化法を聞きに、再訪門した。だが、前回同様の言葉だけだった。この人では埒(らち)が明かない。薬が無くなり次第、しっかりした病院へ行くことにした。
その二週間後、こいし、大腸憩室炎で大出血し、八日間の入院を余儀なくされた。不思議なことに、その間、痛みがなかった。
(※入院中、常時服用する薬と、痛み止めは医師の指示により、飲まず)
それから十日後「温泉に浸かったら、和らぐ?」ふと、思った。善は急げ、三日後、実行した。泊まったホテルの夕食はバイキングで、アルコール類は飲み放題。なので、酒に意地汚い、こいし、制限時間ぎりぎりまで飲んだ。熟睡した翌朝、強烈な痛みに襲われた。帰路、車窓から過ぎ行く景色を見やりながら、こんなことを思った。
「京都の酒処で痛飲した帰り、タクシーに乗り込むとすぐ、痛んだ、翌朝もだ。
昨夜は生ビールとウイスキー、仕上げに日本酒を、ほろ酔い気分になるまで飲んだ。熟睡した今朝、痛みが酷かった。
だが、大腸憩室炎で入院した八日間は、薬を飲まなくても痛まなかった。ということは、酒と筋肉痛、そこには因果関係があるのでは?」と。
これを検証しようと、七日間ほど酒を断ってみた。その結果、多少の違和感はあるものの、痛みは消えた。
「酒は百薬の長」との説がある。それなのに、どうして筋肉痛になる?
そのことを、尊敬する知識人に電話で尋ねた。すると笑いながら
「その後があるんだよ。酒は百薬の長といへ(え)ども、満(よろず)の病は酒よりこそ起(くれ)、とね」
こいし、血圧や、肝臓のガンマ値、コレステロール値が上がり気味、このさい、晩酌を止めることにした。しかし、長年の習慣、三日坊主になるかも。
※今回のエッセイはユーモアがありませんでした
なので・・・・・・
人面カメムシ 人面トイレ
※「ミニ観だより」より 中野区のある公園のです
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大山山麓のミニ観察会 とても楽しいですよ 勉強になりますよ
大山山麓の自然を守る、神奈川県立自然環境保全センターが、小田急の本厚木駅からバスで約三十分ほどの所にあります。
県産の木材を使った本館には吹き抜けの展示室があって、カモシカ、ツキノワグマ、フクロウなどの剥製が展示され、回廊になっている二階にも、この周辺に生きる動植物の写真や絵画が展示されています。
併設された自然観察園は、昭和の半ばまでは水田や雑木林だったそうです。それにより、当時の樹木の多くが現存し、また昆虫や草花は代が替わっても生き続けています。
こいし、この観察園にここ八年、ここでの自然観察会(※みずきの会)に参加しています。電車とバスを乗り継いで二時間かけてです、自然を知りたくて。
「八年も? だったら、相当な知識を持っただろう」
と、おっしゃりたいでしょうが、こいしは小さい時から物忘れが激しく「ニワトリは三歩歩くと忘れる」それなのです。ましてや、もう老いたニワトリ、三歩どころか一歩でもうです。
余談はさておき、梅雨の走りの六月十八日の観察会の様子を撮りました、どうぞ見てください。そして、興味を持たれた方は第三日曜日の午後一時、神奈川県立自然環境保護センター(※神奈中バス、七沢リハビリセンター下車)の玄関前に来てください。
無料ですし、何の制約もありません。代表はじめ、解説員(※指導員)六名の方々、どなたもとても優しく接してくれます。
今までにない発見が、必ずあります。目から鱗(うろこ)、間違いなしです。
それでは本日のミニ観の様子を、どうぞ。
解説員と参加者の簡単な自己紹介が終わると、九枚の部分写真をアトランダムに並べ、それを並び替え、完成写真にするクイズが始まります(※とても難しい)。完成すると、そこに写る動植物は何(※誰)? になります。
今日は、下記の写真です。皆様は左の写真を右のように並び替えられました? 簡単だった? それは凄い。では、赤色で丸囲いした、怪しげなの、何だか分かります?
こいしは、サンショウウオと答えを出しました。でも、ブブーです。
正解は四歳か五歳の「オニヤンマ」のヤゴ(※幼虫)でした。そばに群がるのは、ヤゴの好物、オタマジャクシ。食べられるの、気づかないのかなあ。
会長の挨拶の中で、つい先日、熊が、すぐ側に出没したと話しました。
出没したのは、奥に見える、こんもりした所 熊の足跡 おお恐い
ミニ観が始まりました
ハートカメムシ ケンポナシ 実がなる秋が楽しみ
本名はエサキモンキツノカメムシ なし(梨)の味がするそうです
白く見える部分が ハートの形 花は甘い 良い香り
はっきり見たい方は図鑑で お願い
イチヤクソウ 解説員に教わりました 雨が落ちてきました だんだん大粒に
初めて見ました 感激です これにより 本日のミニ観は少し先のハン ゲショウの群生地で終了 残念でした、
まだ半分なのに
ハンゲショウの群生地 オニシバリの実 鬼は恐ろしいですが、
二週間もすれば全面 白くなる 実は可愛くて綺麗です
でしょう
こいしが、八年通って知った、目から鱗のベスト6です。(※写真は参加者に配布される「ミニ観だより」に掲載されたものです)
アオスジアゲハの卵 グンバイムシ
蝶になった あの綺麗さ プラタナスの幹にいました
想像できますか? ルーペでやっと見える大きさ
相撲の行司 武将の武田信玄が持つ 軍配
からでしょう 名前の由来は
右はマツモム 背泳です ウラギンシジミの幼虫 二本の突起に触れると
左はコミズムシ(フウセンムシ) こうなります 線香花火のよう
落ちた虫を食べています
五十余年ぶりです 見たの 懐かしかった
人面カメムシ こいしにそっくり? ソメイヨシノの花芽の断面(※三月十八日)
言われてみると、そうかも もう 花が
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