わかい日にであっていたら
三年前、モーツアルトのヴェスぺレ(宗教音楽)を聴きに、JRの池袋駅から、目白台にある演奏会場の教会まで、いつもの散歩道に変え、歩きました。今日はその話で、これも「あんポンたん」の中の一編です。
わかい日にであっていたら
雑踏の駅から、しばらく行くと護国寺が目に入った。古都の寺社は良く行ったが、この寺はまだない、灯台下暗しである。開演にはまだ間があるので、寄ることにした。
山門をくぐると重要文化財に指定された本堂がどっしりと構えている。説明の立て札を二度ほど読んだ後、じっくり時間を費やして鑑賞し、あたりの樹々や草花も見ていた。そうしていた時、バギーを押す、ふくよかなお婆さんが
「ふるさと(豊島区の夕焼けチャイム)が鳴ったよ。さあもう帰ろうね」
と寝入る、女の児に話しかけた。
「えっ、もうそんな時刻?」
驚いて時計を見ると、開演まで一時間を切っていた。焦った私は、ネットで出した地図を無視し、三角形の底辺だろう路地を闇雲に進んだ。その結果、自分の今いる場所すら、分からなくなっていた。
少なくとも方角だけは知ろうと、少し大きい通りへ出て、あたりの風景を眺めた。すると遠くに教会の鐘塔があった。
「しめた、あそこだ」安心した私は、鼻歌まじりで到着した。ところが、そこには人っ子一人いなかった。演奏会場の教会ではなかったのである。
その時、地獄で仏、犬を散歩させるお爺さんが、向かって来た。さっそく聞くと
「それなら、三つ目の信号の手前に女子大があるから、そこを右に少し行った所だよ」
丁重な礼を言い、急行すると、何とそこは閑静な住宅街だった。
もうろく爺か、それともいじわる爺なのか、どちらにしても、腸が煮えくり返った。
あたりに人がいないので、最後の手段、主催者に電話で聞くことにした。そこで、入場券を財布から取り出して見ると「東京メトロ有楽町線護国寺駅徒歩五分」と、ただそれだけだった。
途方に暮れていると、女高生が遠くから向かって来る。そこで、不審に思われないように、それでも早足で歩みより、神に祈る気持ちで聞いてみた。すると
「帰り道ですから、ご一緒しましょう」と、爽やかな笑みで言う。
帰り道は嘘だと思った。案内した後、暴漢や痴漢に襲われたり、不慮の事故に巻き込まれたら、申し訳ない。そこで指示のみを求めた。だが聞きわけのない、お嬢さんだった。
「学校帰りですか?」
「ええ」
「どちらの学校なの?」
「池ヶ岡女子です」
「進学校で有名な、池ヶ岡?」
「皆はそう言いますけれど、私、そう言われるの、とても嫌よ。おじさんはどこの学校なの?」
「僕? 僕はね、私立不良学園高校」
「まあ、面白いおじさまだこと。不良学園高校なんて、聞いたことないわ」
言ってすぐ「おほほ」と、小さく笑った。
思いも寄らない、お嬢さんの親切で、やっと到着した。感謝を口にすると
「帰り、心配だなあ。そうだ、皆について行って。そうすれば護国寺駅までは行けるわ。そうしてね。そうするのよ、絶対によ」
病弱な弟を諭すかのように言うと、くるぶしを返し、来た道を早足で戻って行った。帰り道はやはり嘘だった。
その十年ほど前、同じような親切を受けた。日野市役所へ指名参加の申請に行ったさいである。受理されるには細かい審査があり、相応の時間が掛かる。また最終日だったので申請人が多く、入った時はどんよりしていた空が、出る時は吹雪いていた。
次の八王子市も最終日、携帯傘を手に、門を出た。するとクラクションの音。振り向くと、若い女性が近寄ってきて
「駅に行かれるのでしたら、お送りしますよ。通り道ですから」
雪を遮るように目を細めて言った。
今の時世にこの親切は考えられない。素人女を装った、美人局(つつもたせ)? 躊躇していると「遠慮なさらず、さあどうぞ、どうぞ」
私の背中を押した。
それにより濡れずに、そして早く着いた。その謝礼を申し出ると
「結構です、その代わり、困っている人を見ましたら、できる範囲で手を差し伸べて下さい。そういった輪が広がって欲しいの、私」
親切の嘘をついた女高生、親切の輪を広げたい女性、若い日に出会っていたら、忘れられない人になっていただろう。
小説「あんポンたん」の内容が知りたいとのコメントが、数人の方から入りましたので、次回はその概略を書きます。
「なーんだ、つまんないの」と、おっしゃられるのを覚悟で。
これからも、猛暑続きそうです。お体にはくれぐれも、お気をつけください。
クリック お願いします