こいしノート

エッセイ読むのも書くのも大好き人間です、小説も。 

すぎたるは なお およばざるがごとし

健康であるには一日、八千歩のウォーキングだと専門家は言う。こいし(私)これを信じ、家から四方向に決め、朝夕、実行していた。

しかし、四日ごと見る風景に飽きあきし、それでは? を考え、来年(※平成28年)の新年を期して、都営地下鉄線の四路線の地上部を歩くことにした。そして実行、大江戸線から始め、三田線新宿線、浅草線を踏破した。(※詳細は下段の図を見てください)

 この歩数に日常生活のも加えると、四月末までに1,071,938歩となり、歩幅を30センチと見積るなら、およそ322キロ、歩いたことになる。(※一日平均、約9,000歩)

それからも、バスや私鉄沿線を歩き、紅、黄葉の季節には奥武蔵の山々に登った。

 

二月の初旬(※今年)足の付け根に痛みを感じたが、一過性だと思い、ほっぽっていた。しかし、日毎、緩やかだが増してくる。

昨年の暮れ、京都に住む画家から「アトリエに来ない? 面白い物がいっぱいあるんだ」と、誘われていた。新幹線もホテルも予約済みだったので、不安ではあったが向かい、もう最後になるだろう、仏野念仏寺(あだしのねんぶつじ)の水子地蔵にも逢ってきた。(※3月3日のブログ「おかあさん、なかないで」)

その頃は、もう痛くて痛くて、破行状態であった。

 

湿布薬を貼って、一週間、様子を見たが、一向に良くならない。そこで、渋々、総合病院の整形外科を訪問した。

「どうしました?」と医師。

「足の付け根が痛いのです」と、こいし。

「そうですか、それではレントゲンで、見てみましょう」

(※一時間後)

「レントゲンでは股関節に異常ないですね。何か運動していますか?」

「一日、八千歩、歩いています」

「いつからですか?」

「三年にほどになります」

「それが原因かもしれません。炎症による腫れや痛みを和らげる薬を処方しますので、二週間飲んでください。それでも痛いようでしたら、精密検査しましょう」

 

こいしは三年前に「僧帽弁及び三尖弁閉鎖不全症」の手術を受け、その後、六種類の薬を朝食後に服用している。それに加えて二種類が加わった。それを多目の水で飲むと、お腹がいっぱいになる。でも、朝食は事前に取る。

「何でですかって?」

その答えを、三十年も笑わせてもらっている「何でもフラメンコ」的に言うなら

「お腹がいっぱいなのにぃ、朝ごはんを食べるぅ・・・・・・なあーんでか、なあーんでか、それはね、薬を飲むため・・・・・・オーレイ」

 

 

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日数と駅間です,クリックすると拡大されます 歩いた駅が少ないのは、迷ったからです

 

 

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私 ミモザ 来春も見てね

「お隣の河津さん(※二月八日のブログ「言わずもがな」の河津桜のこと)が終わったら、出番は私、シルバーグリーンの葉に、黄色い小さな丸い花、可愛いでしょう、綺麗でしょう、見てちょうだい」と、ミモザ

 

こいし(私)の家から北へ二百メートルほどの所に、薄グリーンのしゃれた老人ホームがある。そこに居住する、婦人と付き添いの人が、散歩のさい、我が家のミモザを見て、このような会話をしていた。(※声だけなので、どちらの言葉だかは分かりません)

「今年も見られたわ、良かった」

「昨年より、一回り大きくなったみたい。花つきも多いようだわ。来年も楽しみね」

「この花の花言葉、知っていますか?」

「いいえ」

「優雅、友情よ。でもね、秘密の愛、秘めたる恋というのもあるの」

「風で揺らいでる姿は、とても優雅だわ。小花が枝に仲良くくっ付いていて、友情も分かるわ。でも、派手な黄色でしょう、秘密の愛とか恋は、どうしてかしら?」

「そうだわね、お花に詳しい、園長さんに帰ったら、聞いてみましょう」

 

十年ほど前、園芸店の見切り品コーナーで、丈が30センチ、太さが2センチぐらいで、今にも枯れそうな「ミモザ」を、目にした。値札にはラベルが三枚、重ねて貼ってあり、最後のそれは百円だった。

今日、売れなければ、明日には処分?

そう想像すると哀れになり、買ってしまった。そして、門の横の小さな空間に植え、二週間後、肥料をたっぷり与えた。

日当たりが良いことと、月一度の肥料が効いたようで、ぐんぐん背丈が伸びた。だが、幹は太らない。

(※ミモザに肥料を与え過ぎると、このようになると後日、教わった)

 このような、ひょろひょろでは自立は無理、そう判断し、一本はフェンスから、もう一本はベランダから紐で固定した。

ミモザの小枝は弱く、台風時には多く折れる。雪が降れば降ったで、積もる雪の重さに耐えられず、大枝も折れる。なのでそのような日は一日中、雪掃いを強いられる。

こいし、もう歳、それが大儀になったので、除去を決めた。でも、実行できなかった。花芽を見てしまい、せめて来春、咲かせてから、そう思ったので。

 

その花芽が今、満開なのである。ホームの婦人と付き添いの人が

「今年も見られたわ、良かった」

「昨年より、一回り大きくなったみたい。花つきも多いようだわ。来年も楽しみね」と、先ほど話していた。

 この言葉は「私、咲き終ったら切られるの。私、もっと生きたいの。私、喋ることが出来ないの。ホームのお二人、どうかお願い、こいしに切らないでって伝えて」

ミモザのその気持ちを代弁した? そうも思えてきて、それで除去に迷いが生じた。

 

 翌夕、近所の酒飲み友達から、俺の家で一杯やろうと誘われた。飲むうち、ミモザを切る、切らないで悩む話をした。すると

「先が短い人が楽しみにしているのに、ばっさりはないよ。それと近所の人たちだって、春一番を楽しみにしていると思う。雪で折れたって、翌年は新梢が出てくるよ。切るの、賛成しないね」

奥さんも「そうよ、そうよ、私も反対、切ったらもう飲ませない、縁切るわ」と、圧力。

「えっ、切ったら飲ませてくれないの? 縁切られるの? それ、死ぬより辛い、言うとおりにします」

「それで良いのだ、さあ、もう一杯」

一杯が二杯、二杯が三杯、帰りに見上げた星は揺らいでいた。

 

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幹が細いでしょう           拡大しました

 

 

「付 録」

 ごく近い知人から、双子の「シンビジューム」を頂きました。双子の妹、とても綺麗なので、皆さまに見て頂きたく、載せました。姉はまだ、お休み中。

 

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 妹です                姉です

 

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リサイクルで 金 銀 銅メダル

JOCのジャック・ロゲ会長が、2013年9月7日、オリンピックの開催国は「トキョ(※東京)」と発した。招致委員会の面々、誰彼なしにハグしたり、飛び跳ねたり、大喜び。テレビで見ていた、こいしも喜んだ、ハグする人はいないけれど。

 

創設者である、ピエール・ド・クーベルタン男爵は「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」と、語った。

(※事実はペンシルベニア大教主のエセルバート・タルボットの言葉。こいし(私)知らなかった)

しかし、そうは言っても、参加国はメダル獲得に躍起だ、もちろん日本も。

遡ること五十年前の東京オリンピックでは、金16、銀5、銅8個だった。今回は? 誰もが夢を膨らませる。

こいしもそうだが、近頃になって、開催すること自体、疑問を持つようになっていた。

理由は招致するさいに発表した開催費用より、大幅に増えること。国立競技場の設計や、エンブレムのトラブル、競技会場の移設や、選定のごたごた、そのようなことで。

だが、その考え、今はない。小池百合子さんが都知事に就任して透明感が高まったこと。また費用も低減化したことで。今後、都と組織委員会とが、何事にも協力し合い、より良く進めて欲しい。

「おもてなし、素晴らしかった。今度は観光でファミリーと来よう。ラバー(恋人)と来るぞ。ハネムーンで来たい」

と、来日した人たちが、こう言ってくれるような。

 

 

二月十日の小池さん、記者会見で、こんなことをにこやかな顔で言った。

「大会組織委員会が授与する各種のメダルは、小型電子機器のリサイクルで製作する。その回収は四月から。東京都は先行し、二月十九日から、都庁の第二庁舎で回収する。

協力された方には、シリアルナンバー入りの感謝カードを用意する。セレモニーのさい、自分も三つの携帯電話を『メダル協力ボックス』へ投入する。

メダルの総数は約5千個、必要な金は10キログラム、銀は1,233キログラム、銅は736キログラム。携帯電話には金が0.048グラム、銀が0.26グラム、銅は7グラム含んでいる」

その説明の間に、こんなことも言った。

「皆さまからお預かりする電子機器から抽出されました金、銀、銅が、2020年には、アスリート、メダリストの方々、それぞれの栄誉をたたえるということになります」

 

こいしはミーハー(※みいちゃん、はあちゃんの略)だ。

小池知事の感謝カードが欲しい一念で、携帯電話三個、デジカメ二個を開始四日目に、ボックスへ投入した。

そのさい、係員に集積状況を聞くと、初日は約250人で834個、二日目は約260人で793個だと、答える。

 

こいしが提供した機器で出来た金メタルを、願わくは、金髪美人アスリートが受けて欲しい。それに頬ずりしてくたら、口づけしてくたら、かじってくれたら、嬉しいな。

 

 

 

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 感謝カードです こいしのシリアルナンバーは

001081です

  

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おかあさん なみだながさないで 

前回の「タブレットは すご〜い」の末尾に「明日、京都へ旅してきます。愛くるしい、お地蔵さまに逢いに」と、記しました。

旅を決めたのは京都在住の画家、S氏と昨年の暮れ、神田の居酒屋で飲んだ時にです。S氏が「僕のアトリエに、面白い物がいっぱいあるんだ、是非、来て見てよ」と、興味を持たせるような口調で言いました。(※アトリエの話は後日、書こうと思っています)

見たい気持ちは、やまやまだったのですが、新幹線に乗ってまで、それを考えて躊躇していたのですが、そのうち、以前に見た、愛くるしいお地蔵さまが、ふと、頭を過ぎり、すると、どうしても逢いたくなり「年が明けたら、きっと」と、口にしました。

 

 話は遡りますが、こいし、四十歳になった頃、大阪支店勤務の辞令を受けました。どの地へ赴任しても、そこを楽しむ主義の、こいし、ここは京都や奈良が近いので、古刹巡りに的を絞りました。

手始めの初日は、中学の修学旅行での行程どおり歩き始めました。そして、興福寺まで来た時、ここで、記念写真を撮ったことを思い出し、当時の気分もう一度、その気持ちで、記憶にあった石段に立ちました。すると前列にいた、I子さんが脳裏に浮かびました。

「成績が良く、綺麗で優しく、淑やかだった、I子さん、どうしているだろう」

少々、センチメンタルになりました。

翌々週は、天竜寺、釈迦堂、大覚寺祇王寺を見学し、さらに、あだし野念仏寺まで足を伸ばしました。そこで、愛くるしい顔で、みず子地蔵尊の横で眠る、お地蔵さまと対面したのです。

この地蔵の由来は、念仏寺の栞のお終いに記されています。念仏寺の由来とともに、読んでみてください。(※要旨です)

 

「境内にまつる八千身体を数える石仏・石塔は、あだし野一帯に葬られた人々のお墓である。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、山野に散乱埋没していた石仏を明治中期、地元の人々の協力を得て集めた。

 この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり、人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。

竹林と多聞塀を背景に、茅屋根のお堂は、この世の光はもとより、母親の顔すら見る事もなく露と消えた『みず子』の霊を供養する、みず子地蔵尊である」

 

こいしの大阪勤務は三年でした。この間、幾度か念仏寺へ行き、地蔵に手を合わせました。大阪を離れるさいもです。

 

それから二十一年、S氏のアトリエを訪問した翌日、念仏寺へと向かい、そして、愛くるしいお地蔵さまに逢いました。当然ですが、全く変わっていない、寝姿です。

ですが、こいしが変わったのか、以前には考えもしなかった、こんなことを思いました。

 

「おかあさん、なみだながさないで。あたし(ぼく)不幸ではないの。おかあさんの、おっぱいはのめなかったけれど。

おかあさんのいまを、ほとけさまがはなしてくれます。あたしのことをおもって、いもうとをうまないのね。それはちがうわ、あたし、いもうとほしい。そのこが、あたしなのよ、おかあさん」

 

こいし、もう歳です、なので「今度逢うのは、蓮華咲く池のほとりでね」と声を掛けつつ、三度、頭をなで、来た道を戻りました。冬には珍しいほどの温かな陽を背に。

 

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 石塔と本堂(撮影禁止でしたので、念仏寺の栞より)  

 

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 みず子地蔵尊(撮影禁止でしたので、念仏寺の栞より) 

赤いべべ着た 愛くるしいお地蔵さま 写真撮影禁止

とても残念です

 

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 みず子地蔵尊の裏にある、竹林です これは、こいし

が撮りました。

 

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タブレットは すご~い

 

若く逝った童謡詩人、金子みすゞさんの作品に

「青いお空のそこふかく 海の小石のそのままに 夜がくるまでしずんでる 昼のお星はめにみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」

 というのがある。

しかし、今は昼間でも見られる、ただし、タブレットではあるが。

 

この詩に感銘を受けていた、こいし(私)、タブレットを貰うと直ぐ、昼の星を見たくなり、太陽が子午線を通過する時間に合わせ、それを南極点へ翳(かざ)した。すると左に「りゅうこつ座」。その下に「ほ座」が、その右に「みなみ十字座」が、画面に出た。どれも知らない星座である。

「みなみ十字座」の下には、名前だけは知っている「ケンタウルス座」が見える。拡大してみると、大小、十八の白丸(※バックが黒なので白)があり、それを繋ぐ線を骨格にした、上半身は人間で下半身は馬の胴体の『ケンタウルス』の勇姿があった。

画面を下に向けても星が映っていた。これ、何処にある星? それを知ろうと、画面をぐるぐる回転させ、それにより、地球の裏側の星と分かった。赤道半径が六千余キロメートルもあるのに・・・・・・とても不思議だ。

もっと不思議なのは、閉め切った部屋で布団を被って、アイコン(ボタン)を押すと、星が映ることである。天井の上には光を通さない瓦屋根、畳の下は板張り、その下には断熱材、床下の基礎はコンクリート造、なのにどうして?

それを簡単に成し遂げる、タブレットの機能の良さは凄い。とは言え、みすゞさんの詩の良さとは全く別物である。

 

驚きはまだある。翻訳アイコンを押すと、瞬時に和文が英訳され、英文が和訳されることだ。

二十八歳の時、出張で東南アジアの田舎へ、一人で行ったことがある。英会話が全く駄目なこいし、やっとの思いで現地に着き、やっとの思いで帰国。その証拠に体重が五キロも減っていた。

当時、タブレットがあったなら、こんな苦労はなかっただろうに、甘いかな?

 

タブレットは、ある人からのプレゼントです。その人、にこやかに、こう言いました

「足腰が立たなくなって、介護施設に入った時、これでいろいろ楽しんでちょうだい。『こいしノート』これを使ってブログ村に出して・・・・・・いつまでも書くのよ」

 

誰だ、そいつ(その人)? 男か? 女か? 歳は? どういった関係だ? 白状しろ!

それらの質問には、百条委員会に招致されても、お答えできません、あしからず。

 

明日、京都へ旅してきます。愛くるしい、お地蔵さまに逢いに。

 

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言わずもがな

 

二十年ほど前になりますが、購読する新聞が、河津桜が見頃だと、写真入りで報じました。初めて知った桜を見たさに、ドライブがてら週末に行ってみました。

河津川の両岸に沿い、八百本、それはそれは見事でした。こいし、急に欲しくなり、帰路、苗木二本を買いました。一本は我が家、もう一本はある場所に、と考えてです。

 

[我が家に植わった河津桜]

園芸店の亭主は「日当たりが良ければ、再来年には咲くよ」と、言ったのですが、どうしてどうして、五年後でした。咲いたのはとても嬉しかったですが、何年後から、困り事が生じました。

植えた当初、我が家の南と西側は空地でした。ですが、毎年のようにの近代風な家が建ったのです。そこに落葉が、西風、北風、それに身を任せ舞い込み、迷惑をかける、そのことです。

家の方々は「お気を使われないで良いですよ」と、おっしゃいますが、そうもいきません。なので常に監視し、あれば箒と塵取りで出陣です。それは、とても面倒、それが高じ、切り倒すことにしました。ですが、出来ませんでした。

 

近くに大きな、養護老人ホームがあります。そこの居住者が、ヘルパーさんが押す車椅子で見に来ます。そして、言うには

「毎年、楽しませてもらっています。来年も見たいです。でももう九十八・・・・・・」

またある人は

「去年、一緒に見た人で、今は寝たきりになった人に見せたいの。一枝、頂けません?」と、遠慮がちに。

 またある人は

「正月三日に亡くなった人が、今年も見たいと言ってました。見せたかった」と。

このような人たちの気持ちを察して、それが理由です。

何かがあって、施設が閉鎖されたら、切り倒される運命の河津桜なのです。

 

[みかん山に植わった河津桜]

購入したもう一本は、八幡浜(※愛媛県)で、みかんを作る知人に送りました。

予讃線で「夜昼トンネル」を抜けると一面、みかん山です。春まだ浅い頃は、濃い緑のみかんの葉だけです。それを借景に、河津桜を咲かせたい、そう思ってです。

車窓の人たちが

「まあ、もう桜、見たことのない桜だわ、品種は何かしら?」

「ピンクが鮮やかね、綺麗だわ。でもどうして一本だけなの? 不思議だわ」

そういった声も期待して。

 

知人は、こいしの意を快く受け入れ、列車から良く見える、日当りの良い場所に植樹してくれました。そして、伸びるがままに育ててくれました。

ある年のある日、知人に桜の様子を聞きました。するとこのような返事です。

「乗客の感嘆、感想は見聞していないが、この界隈では有名になっていて、満開の週末には、プロ、アマの写真家が遠くから、近くから、レンズを向けている」と。

 

二本の河津桜、どちらが幸せ? 言わずもがなですね。

  

 

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 こいしの庭の河津桜           満開になりました(二月十七日撮影)

 最後の一葉

 (一月十五日撮影)

 

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 八幡浜の自然のままの河津桜

(グーグルマップの画像を引用しました)

 

 

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   手前が予讃線で、横を走る国道の車の中から

  スマホで撮りました

  (一月三十一日撮影) 

 

 

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女高生の会話で

 スマホがまだ無い時代、電車に乗っている人は、新聞や週刊誌を読んだり、居眠りしたり、お喋りしたり、いろいろだった。

 

ある日、出勤する電車の中で上司のKさん、女高生の会話を耳にした。

「あの人、あんなに新聞くっつけて、よく読めるわね」

「あの方、白内障だと思うわ。じいちゃんも、ああだったもの。でもね、簡単な手術で治ったのよ。早く手術したら良いのに」

この頃、書類が見え難くなっていた、Kさん、ひょっとして、俺、白内障? ふと思った。気が急いて、その日の午後、眼科医へ行き、その結果、ひょっとしてが当たっていた。

 

Kさんは大の酒好き、こいし(私)もそう。なので就業後、酒処へよく行く。今日もで、「お疲れさん」の常套句の後、Kさん、白内障のあれこれを話し始めた。掻い摘むと、こうである。

 「目が物を見るには網膜に景色が正しく映し出されることと、その情報を大脳に正しく伝えられることが不可欠である。それには、網膜まで確実に光が届かねばならない。

水晶体が白濁すると、光が眼の中に十分入らなくなり、物が薄暗く見える、それが白内障。では、何故白濁する? 

その要因は種々あるが、高齢からが一番。何年もの間、休みなく活躍して疲れ果て、機能の正常さが失われるからである。手術は濁った水晶体を取りのけて、人口レンズを入れる。短時間で終わり、その日に帰れる」

 

得意げに話した、Kさん、ビールをもう二本注文すると、思い出したように

「こい君、君、健康診断で、網膜血管硬化症って言われただろう? で、精密検査、どうだった?」

と、問うてきた。

「まだ、行ってないんです」

と答えると

「なにぐずぐずしてるんだ。明日、眼科医へ行って来な、部長命令だ!」

と言明。

行かざるを得なくなり、しぶしぶ行くと眼科医が、こう話した。

「高血圧が何年も続くと動脈が、しだいに弾力を失うのです。次の段階で血管壁の性質が変化して厚くなります。これが動脈硬化で、この症状が網膜に出たのは脳梗塞の前兆です。専門医を紹介しますので『MRI』検査をお願いしたら、良いと思います。ぜひ、そうしてください」

 

 MRIは問題なかったが、これを機に生活習慣を改めた。諸悪の根源、煙草も止めた。これにより、今日まで長らえた。

 

Kさん、今は札幌の人。今年届いた年賀状に「孫の結婚式で、五月五日に上京する。一杯やりたい」と、書いてあった。

待ち遠しいその日が来たら、聞いてみたいことがある。白内障の切っ掛けを作ってくれた、二人の女高生「どんな娘(こ)だったの? 綺麗だったの? 清楚だった?」

どうでもよいことではあるが、こういったことに興味を持つ、こいしである。

 

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