こいしノート

エッセイ読むのも書くのも大好き人間です、小説も。 

言わずもがな

 

二十年ほど前になりますが、購読する新聞が、河津桜が見頃だと、写真入りで報じました。初めて知った桜を見たさに、ドライブがてら週末に行ってみました。

河津川の両岸に沿い、八百本、それはそれは見事でした。こいし、急に欲しくなり、帰路、苗木二本を買いました。一本は我が家、もう一本はある場所に、と考えてです。

 

[我が家に植わった河津桜]

園芸店の亭主は「日当たりが良ければ、再来年には咲くよ」と、言ったのですが、どうしてどうして、五年後でした。咲いたのはとても嬉しかったですが、何年後から、困り事が生じました。

植えた当初、我が家の南と西側は空地でした。ですが、毎年のようにの近代風な家が建ったのです。そこに落葉が、西風、北風、それに身を任せ舞い込み、迷惑をかける、そのことです。

家の方々は「お気を使われないで良いですよ」と、おっしゃいますが、そうもいきません。なので常に監視し、あれば箒と塵取りで出陣です。それは、とても面倒、それが高じ、切り倒すことにしました。ですが、出来ませんでした。

 

近くに大きな、養護老人ホームがあります。そこの居住者が、ヘルパーさんが押す車椅子で見に来ます。そして、言うには

「毎年、楽しませてもらっています。来年も見たいです。でももう九十八・・・・・・」

またある人は

「去年、一緒に見た人で、今は寝たきりになった人に見せたいの。一枝、頂けません?」と、遠慮がちに。

 またある人は

「正月三日に亡くなった人が、今年も見たいと言ってました。見せたかった」と。

このような人たちの気持ちを察して、それが理由です。

何かがあって、施設が閉鎖されたら、切り倒される運命の河津桜なのです。

 

[みかん山に植わった河津桜]

購入したもう一本は、八幡浜(※愛媛県)で、みかんを作る知人に送りました。

予讃線で「夜昼トンネル」を抜けると一面、みかん山です。春まだ浅い頃は、濃い緑のみかんの葉だけです。それを借景に、河津桜を咲かせたい、そう思ってです。

車窓の人たちが

「まあ、もう桜、見たことのない桜だわ、品種は何かしら?」

「ピンクが鮮やかね、綺麗だわ。でもどうして一本だけなの? 不思議だわ」

そういった声も期待して。

 

知人は、こいしの意を快く受け入れ、列車から良く見える、日当りの良い場所に植樹してくれました。そして、伸びるがままに育ててくれました。

ある年のある日、知人に桜の様子を聞きました。するとこのような返事です。

「乗客の感嘆、感想は見聞していないが、この界隈では有名になっていて、満開の週末には、プロ、アマの写真家が遠くから、近くから、レンズを向けている」と。

 

二本の河津桜、どちらが幸せ? 言わずもがなですね。

  

 

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 こいしの庭の河津桜           満開になりました(二月十七日撮影)

 最後の一葉

 (一月十五日撮影)

 

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 八幡浜の自然のままの河津桜

(グーグルマップの画像を引用しました)

 

 

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   手前が予讃線で、横を走る国道の車の中から

  スマホで撮りました

  (一月三十一日撮影) 

 

 

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